2004年10月10日

とある、有名な、動物行動学者の犬のトレーニングワークショップに参加したヒトが、気分悪く帰ってきたという話を聞きました。

理由は、「スワレ」を10分以上に渡って強いられた自分の犬が、延びをしたくなったらしく動いたことにたいし何もいわなかった自分に、講師があまり上品でない言い方で注意を促した、ということのようです。もちろん、それだけではないのでしょう。

いろいろなことを照らし合わせてみると、このワークショップは、どうやら、犬のトレーニングにとって一番大切なことは、確実性を身につけること、という講師の最近の考えを受講生達に伝えることを目的としているようでした。

「あなたが教えたつもりになっていることでも、本当は犬の身についていないことはいっぱいある。どのくらい犬がきちんと確実にコマンドを拾得しているかを把握し、そうすることにより、確実性を高めるためのトレーニング方法を考え実践することが重要だ。」

ということのようなのですが、そのことは、この、気分悪く帰ってきた受講者には伝わらず、受講者は不快になっただけだったのです。

この「」の中の内容は、この講師が次に行うワークショップのお知らせに書いてあったことです。

どうやら、この講師は、飼い主達に自分のトレーニングの成果を認識させるために、あえて、犬/飼い主が失敗するようなことをさせ、飼い主/ハンドラーにそれを実感させるという方法をとったということなのです。そして、その失敗に対し、受講者が不愉快になるような言い方で臨んだらしい。

犬の訓練・トレーニングでは、一度何かを教えたら、それが確実性を身につけさせるために、「トライ・アンド・パニッシュ」という方法がよく使われていました。「スワレ」を教えたら、何度も繰り替えし、ハンドラーが解除する前に犬が動いたらイケナイといえ・・・つまり、叱れ、罰を与える、という方法です。

この「トライ・アンド・パニッシュ」は、罰がともなう考え方ゆえに、一部からは批判のある方法で、この講師もそれは有効でなく、必要ではないという意見だったと記憶しています。

しかし、この講師が、ワークショップ受講者に対してとった方法が、この「トライ・アンド・パニッシュ」であったことは興味深い。

確かに、「トライ・アンド・パニッシュ」は、教わっている個体に不快で承服しがたい感情を残していて、本来伝えたいと思った内容は、すっ飛んでしまっています。そして、それにより、「トライ・アンド・パニッシュ」の方法が持つ「負の部分」を受き彫りにしています。(まさか、それが目的ではないでしょう・・・ね)

最初から、受講者に、ワークショップの目的と犬にスワレを長時間させる理由を、何度も強調し、納得させておけば、受講者は気分悪くならなかったでしょう。また、もし、それが受講者に伝わっていれば、例え、「トライ・アンド・パニッシュ」でも、受講者はもっと実りある体験ができたかもしれない。

相手の感情をあまり考慮しない、方法論の実践的な展開に、ある種の犬の訓練方法論がかかえる、ある特徴が、また見えたような気がします。    
                     kuro

at 02:16コメント(0)トラックバック(0) 

2004年10月07日

人道的な訓練方法、という言葉を耳にします。

これは、基本的には、operant conditioning という行動学的な考え方を元に、犬に苦痛を与えず、犬の自発性を引き出しながら、楽しくトレーニングする、ということなのでしょう。

ここに、あえて、人道的、という言葉を当てはめたということは、過去において、犬の訓練が人道的でなかったことを証明しています。

実際、私が初めて犬のトレーニングに関わった頃、10年ほど前には、犬の訓練競技会場で、上手にできなかった犬がそのハンドラーに蹴られている光景を目にしたことがありました。人目をはばかることなく、まだ若いハンドラ-が思う存分犬を蹴っていました。

犬が、指示されたことをできなかったからといって、お仕置きとして体罰を加えられている、という事実よりも、それが、堂々と行われていたことに、少なからずショックを受けたことを覚えています。

今では、アジリティの会場で、出走前に「犬に気合いを入れる」といって、犬の首をを持って「シメタ」ハンドラーは、コースオフィシャルから「犬を虐待的に扱った」という理由で退場を命じられたという話を聞きます。

犬に対する考え方、そして、その訓練・トレーニングに対する考え方が、時代とともに変わったということなのでしょう。

今の家庭犬のトレーニングは、特に、ドッグスポーツの分野において、「犬を誉めて、やる気を持たせて、行動を教える」方法をとるという点は、数ある方法論の中でも共通した考え方といえると思います。

しかし、「犬に、してはいけないことを教える」にはどうしたら良いか、という点では、意見が別れているようです。

「してはいけないことを教えるのではなく、好ましい、するべきことを教える」方法をとるか、「積極的にいけないことをいけないと教える」方法をとるか?

私個人としては、経験的には、「してはいけないこと」を教えるのはとても難しく「するべきことを教える」ほうがずっと簡単です。でも、代償行為を教えるだけですましていいものなのか、この疑問は、常につきまといます。

上手にできないことと、やってはいけないことは違うでしょう。また、その行動が、犬やヒトに危険がおよぶことも、また、ドッグスポーツでの失敗とは違う範疇の事柄です。

*アジりティーの出走前に、気が散っている犬を
「シメル」という行為は、どういう意味があるの
 かな、と考えると、たいした意味なく苦痛を与
 えることとして、やっぱり、虐待的行為、と見
 られてしかたのないかも。だって、生きるか死
 ぬかの問題ではあるまいし、他に、犬の気分を
 集中させる方法はいくらでもあるし・・・。


「罰」は、「その直前の行動の頻度を下げる」ことです。犬の「してはいけない行動」の頻度を下げるためにハンドラーが積極的に働きかけ与えることは、「罰」という概念になるでしょう。

犬のなんらかの行動が好ましくなかったといって「蹴る」ことは「罰を与える」ことでしょう。しかし、「罰」は、実際には「蹴る」「殴る」「シメル」という、何やら乱暴な方法以外にも、いろいろあるのです。

ヒトとのコミュニケーションを望んでいる犬を「無視する」というのは、とても大きな「罰」になります。個人的には、おとなの、よく精神的に成熟した犬(ヒトでも同じでしょうか?)以外には、使ってはいけない、厳しい「罰」だと私は思っています。精神的な苦痛は、肉体的な苦痛にまけるとも劣らない、大きな苦痛だと、私は思うのです。

この「罰を与える」という中でも、特に「体罰を与える」、つまり犬に肉体的な苦痛を与えるという方法を、人道的な訓練方法を提唱する人達は嫌っているようです。蹴るということなどは、その一番顕著なことでしょう。

それを、人道的ではない、非人道的であると表現するわけです。

人道的な訓練法を提唱する、ということは、「非人道的な訓練方法の発現頻度を下げたい」という思いを持っているからでしょう。

っで、ここで考えてしまうのです。

「あなたのやっていることは、非人道的だ」といわれて、気分良く「ああ、そうか」と思うヒトは、いったいどのくらいいるのでしょうか?

自らの方法を人道的と表明した瞬間から、それ以外の方法を採用するヒトに、暗に「あなたは非人道的」といっていることにはならないでしょうか?

「非人道的」と呼ばれたら、普通は嫌な気分になるものです。

「罰を与える」方法を非人道的と思うヒトは、その方法を「非人道的」と呼ぶことにより、その方法をとっているヒトに精神的な苦痛という、とても大きな「罰を与えて」いるのではないでしょうか?



at 01:53コメント(0)トラックバック(0)トレーニング 

2004年09月19日

Bridge and Target の技術マニュアルには、この動物のトレーニング方法の技術が説明されているのだが、筆者は、このマニュアルの後の方で、相当数のページをさいて、用語の定義を行っている。

英語のそれぞれの用語を、論理展開の順を追って説明し、その次に、同じだけのページ数をさいて、用語をアルファベット順に辞書のように並べて、同じ説明文を掲載している。

これらの用語の多くは、行動分析主義による心理学で使われ、そこから展開している、昨今の犬のトレーニング法の中でもよく耳にする言葉だ。

reinforcer , punisher, operant conditioning, positive, negativeなどなど・・・
カタカナになおされ、また日本語の言葉に言い換えられ、犬のトレーニングに興味を持つ私達のまわりに氾濫している言葉群である。

確かに、筆者がこれらの言葉を、どのように定義しているかをきちんと理解しなければ、方法論の底に流れる思想を知ることはできないはずだ。

これらの言葉の、筆者による定義は、それぞれとても興味深い。

この技術マニュアルにおける 
positive の定義は「(その環境に)加える」であり、
それに相対する言葉としての 
negative の定義は「(その環境から)減じる」だ。

reinforcer       その直前の行動の頻度をあげるもの
punisher         その直前の行動の頻度を下げるもの
  筆者はpunisherという言葉は、感情的な誤解を引き起こし
  やすいので、 diminisherという言葉に置き換えたい
  (その方が論理的)と考えているようだ。

positive reinforcer    動物の行動直後に(環境に)加えられる
             ことにより直前の行動の頻度が増す、
              動物が欲するもの(こと)
negative reinforcer    動物の行動の結果として直後に(環境から)
             削減されることにより、直前の行動
             の頻度が増す、動物が嫌うもの(こと)

だから、もちろん、punisher にも positive と negative があるわけだ。

ん~・・・なるほどぉ~。

などと読んで、そのまま行動学の世界ネット上でさまよっていると、operant cinditioning から Skinner理論 に行き着き、さらに、行動学の日本語サイトに行き着いた。

そこでは、学術用語として、reinforcerは「好子」、punisherは「嫌子」という言葉で表現されていた。

犬のトレーニングの世界では、科学的な根拠に基づいた新しいトレーニング法として、operant conditioning についての説明や、positive reinforcerを使ったトレーニング法の有効性などが説明されることが多いが、この「好子」「嫌子」という言葉は、犬のトレーニングでは聞いたことが、私はなかった。

犬のトレーニングにおける行動学の理論と、それ以外の学術的な分野での行動学の理論とは、どこが接点で、どこが懸け離れているのだろう?
何が、どう、訳されているのだろう?

さまよっただけの理解なので、私が間違って受け取った部分はあるのだろうが、純粋に、興味は尽きない。



このマニュアルの筆者の Kayce Cover さんは、もし、自分が日本で、自分の技術を説明するという仮定の元、英語と日本語の語順の違い、そこにあらわれる英語圏と日本語圏の文化の違いについて、大変に興味があるという。

自分の話が、どのように伝わり、どのように理解され、どのように実践され、どのように、ヒトと動物とのコミュニケーションに反影されるのか?そして、動物が、きちんとそこから恩恵を受けるか?そんなことを、とっても気にしている。

動物が、きちんと恩恵を受け、ヒトの社会の中で生涯を全うできなければ、トレーニングの意味はないのだから・・・。

自分の母国語で説明する時でさえ、一番の基礎となる単語の相互理解を取ることに重きをおき、異文化圏で自分の提唱する方法論を説明するにあたって、その理解する、大本の言葉の成り立ちの違いに注目する。

コミュニケーションの原点に細心の注意を払い、実社会での結果を重視するという点において、動物のトレーニング、動物とのコミュニケーションに成功するヒトの、その成功の理由が、なんとなく解るような気がする。

at 13:17コメント(0)トラックバック(0)BnT 

2004年09月03日

フリースタイルとは、犬と一緒に音楽にあわせて動く、事を基本とするのですが、ここでも、いつも、虐待的行為、は禁止されています。犬を人道的に扱わないとイケナイ。

今、一番この世界をリードしているのはイギリスで、この国では、このスポーツ(ヒールワークトゥミュージック/フリースタイル)は、KC公認のドッグスポーツとなりました。

世界をリードしているだけに、イギリスでの動向には、他の国からもみんなが注目していて、いろいろな事が話題となります。

昨年は、あるイギリスのトップフリースタイラーが、犬に「逆立ち」をさせた、として、批判が出ました。

この「逆立ち」は、実は、ベルギーのフリースタイラーが「独創性のアル犬の動き」として発表している動きなのですが、なにも、犬が逆立ちして歩く、というのではなく、ハンドラーの身体に後ろ足を添わせる形で、前足で立つ、という動きなのです。

この動きを、2003年のコベントリーの競技会のルーティーンに取り入れたイギリスのトップフリースタイラーに、批判が集まりました。

「フリースタイルはサーカスではない。彼(この動きを取り入れたハンドラ-)が、この動きを犬に教えるにあたって、虐待的行為をしているわけがない事はわかっているし、使い方も、とてもスマートであった事はわかっている。

しかし、彼を真似する人達が、皆、同じ様に、人道的に犬を扱う事は保証できる物ではない。

トップの立場にいる人には、自分の行動が多くの人に影響を与え、その結果が、自分の意志に反して望ましくない方向に向かう事を自覚する責任がある。」

という主旨の文章が、イギリスの、フリースタイル会の大御所とも言える人のサイトに掲載されました。

「のーぶる・おぶりーじゅ」ってやつですね。

という事で、この話を日本のフリースタイル愛好者にしたら、「kuroさん、JKCの服従訓練競技の自由科目の科目表の中に、『逆立ち』も『玉乗り』も、あまりお勧めでない、という注釈付きでのっているんですよ。」
と教えてくれました。

「でも、さすがに、『火の輪くぐり』は、最近は、この表から削除されたんですけど。」

って、事は、ちょっと前まで、JKCの競技会の科目に、「火の輪くぐり」があったって事。

イギリス人が知ったら、虐待だって騒ぐかもねぇ~・・・それで、最近はなくなったのかな、などと言っていたのですが、

でもぉ~、、

今年、コベントリーの後でイギリスで行われたフリースタイルの競技会で、同時に行われた action dogsというグループのデモの写真を見たら、「火の輪くぐり」やってました。

っで、それについては、だれも、イギリスのフリースタイルの世界の人達は、批判もしていなかった。
話題にも取り上げていなかった。
写真、見たはずなのだけど・・・。

自分達の犬とは別の犬達のやる事だから、いいのかなぁ~?

このグループは、毎年、デモを行っているらしいのだけど、ってことは、毎年、みんなそれを見ていて、また次の年もやるって事は・・・?

もしかしたら、あえて、話題に取り上げなかったのかもしれないです。
一度、聞いてみたいです。

at 21:14コメント(2)トラックバック(0) 

2004年08月23日

犬と暮らす様式は、ヒト、犬それぞれによって違っています。

違っているということを十分に承知していながら、一日のうち、犬がクレートの外に出るのは、ほぼ一時間程度というヒトの話を聞き、驚きました。

クレートというのは犬が安心できる場であり、クレートからでている一時間の間には、飼い主は犬と遊んだり、コミュニケーションをとったりするそうです。

それ以外の時は、犬がクレートの中で過ごすことにより、無用のトラブルの発生を防ぐことができるという、その飼い主の意見に、いろいろと考えてしまいました。

犬という、ヒトとは違った文化をもともと持っている生き物と共に暮らそうというのですから、そこには互いになんらかの合意が必要です。それがいわゆる 躾/トレーニング なのだと私は理解しています。

それは、彼等犬にとっては、ヒトの社会で、より簡単に生活をするのに必要な最低限の方便だと、私は思うのです。

しかし、これは他者と一緒に暮らすという点ではヒトとヒトの関係においても同じです。歯ブラシの置方の合意がとれていなければ、結婚生活が破たんする事もありえる。だから、ヒトとヒトは会話をすることにより合意をとる。他者と一緒に暮らす方便です。

そして、これは、合意であって押し付けではないのです。押し付けだけで済ませようとするのなら、それは、一緒に暮らすという事にはなりません。

私は犬とは一緒に暮らしたいので、なるべく、私の生きる社会のことを犬に理解してもらい、犬に納得して欲しい。

それは、こちらの気持ちの持ち方として、そうありたいと思っています。

そして、一緒に暮らす犬は、生きている犬であって欲しい。単に生物学的にだけでなく、生きる喜びを表現する相手であって欲しい。
これをあげるからこうしてちょうだいなどという交換条件ではなく、心から、あなたと一緒に生きていて嬉しいと語ってくれる相手でいて欲しい。

一緒に暮らす相手ですから、トラブルがあったらそのつど解決する努力をしていきたいと思っています。

クレートは犬が安心して過ごせる居場所だという定義は、もし、一日24時間のうち23時間を、犬に鍵のかかったクレートの中で過ごすことを人が強いるのなら、それは、詭弁になってしまいます。

たしかに、子犬の頃は、うちでもいろいろと悪戯もされたし、いわゆる問題も引き起こしてくれました。物も齧られたし、おそそうもありました。

でも、ちょっと気をつければ、ちょっと想像力を働かせれば、一度あった「問題行動」を予防する事はできるのではないか? お互いの暮らしを互いに納得できる様になるまでの、ほんの少しの時間、手間ひまをかけることは楽しいではないか・・?

ヒトが「考える」という素晴らしい能力を使えば、それに「対処」する方法も見つける事ができるだろうと思ってきました。

それが、ヒトの知恵だろうと。

それでも「問題行動」を抱えてしまった時に、クレートをその解決の方法の一環として使うこともあるでしょう。日常生活の中で、一時的に、避難的に使うことは、とても有効でしょう。犬がクレートを嫌いでないなら、それこそ、本来の意味でのクレートの使い方ができるでしょう。

うちでは、犬達がおとなになった今、私が掃除をしている時に犬達が邪魔なところにいる時は、「ちょっと退いて」といえばそれで済むし、「待っててね」といえば、部屋の外でじっと待っています。

日々の暮らしの経験、人との関わり合の中から学んだことを元に、犬達は想像力を使って、掃除の時はじゃまをしてはイケナイという事を知っているからです。

彼等は今、想像力を使ったおかげで、噛んでいいものとイケナイものをちゃんと区別して理解しているのです。

もちろん、常に、間違いなく、というわけではありません。でも、生き物なんて、日常生活なんて、ヒトであれ、犬であれ、そんなものでしょう。

Bridge and Targetという、動物のトレーニング方法があります。

この方法論は犬に限らず、いろいろな動物のトレーニングに使われてきた方法論を、自分も、長く動物のトレーニングにに関わってきた筆者により、論理的な文献としてまとめられ、発表されています。
http://www.synalia.com/

このトレーニング技術マニュアルの中に、次の様な記載を見つけました。

[動物をトレーニングするということは、それによって、その動物が組み込まれたヒトの社会の文化に上手に対処できる手段を身につけるようにすることだ、ということを忘れてはならない。トレーナーは、動物のガイドなのだ。]

[トレーニングの目的は、自分以外の生き物に対し力を得ることではなく、その生き物が、この人間主導の社会で、社会の一員として共存できる様にすることだ。]

from
The Syn Alia Series on Animal Training
VOLUME I:
AN INTRODUCTION TO BRIDGE AND TARGET TECHNIQUE
by Kayce Cover, B.S. Animal Science
Assistant Editor Jenifer Zeligs Hurley, Ph.D.

難しい方法論を勉強することの苦手な私も、ちょっと勉強してみようかとな、いう気持ちになりました。

at 23:07コメント(5)トラックバック(0)BnT 

2004年05月11日

イギリスでフリースタイルの最大のイベントというと、毎年春(昨年までは4月、今年から数年は2月)に開催される、ラグビードッグスクール主催のコベントリー競技会だそうだ。

このラグビードッグクラブは、マリー・レイさんも所属するクラブで、アジリティの世界で有名なピーター・ルイス氏を長とする老舗のクラブである。

このコベントリーの競技会の様子はビデオテープに撮られ、参加者に記念として送られてきた。

そのテープは、ここ数年はイギリス及びヨーロッパ向けの物だけでなく、アメリカ・日本向け、としてNTSCフォーマットも限定数だけ製作され、それを、私達、イギリス国外のフリースタイル愛好者達が購入し、イギリスの素晴らしいフリースタイルの世界を見ることができる様になった。

昨年から、イギリスではフリースタイル(ヒールワークトゥミュージック)はKC公認のドッグスポーツとなり、KCルールのもとで行われる競技会は、いろいろな意味で参加者を惹き付けるのだが、このコベントリーの競技会は、もちろんKC公認の競技会であり、しかも、多くの競技者が、「特別」としている競技会らしい。

このビデオで見るイギリスのフリースタイルは大変にレベルが高く、この競技会に向けてルーティーンを考える競技者も数多くいるようで、今現在、世界をリードしている競技会とも言えると思う。

ドッグスポーツは、いろいろな人、団体が協力してここ20年程の間に急速に発展してきた。だが、フリースタイルに限らず、アジリティでもフリスビーでも、常に主体たる犬とは全く関係のない、人間の思惑、都合によって、反目や分裂が起きている。

イギリスのフリースタイルの世界も例外ではなく、数年前に、古くから活動してきたあるフリースタイルのクラブが、過激な分裂劇の末、消滅した。

その消滅の様子は、イギリスベースのフリースタイルのメーリングリスト内の議論のなかでも話題となり、私達、海外からのML参加者達は、息をこらしてその様子を見つめていた。

海外からのメーリングリスト参加者達は、その多くが北米からのフリースタイラー達なのだが、イギリスのフリースタイル競技会の成り立ちが解らないので、この老舗のフリースタイルクラブの消滅劇を、興味深いゴシップとしてではなく、イギリスのフリースタイルの将来はどうなるのだろう?などという不安さえ感じて見つめていたのである。

激論が少しおさまった頃、確か、カナダからのメーリングリスト参加者だったと思うが、ある人が、おそるおそる投稿した。

「この分裂、消滅によって、私達がビデオで見る、あの素晴らしいコベントリーの競技会は、いったいどうなるの?」

そう、私も、それを知りたかった・・・。

激論の間に、部外者から、場違いな質問は、おそらく手で振払いたい様な質問であったと想像できる。

しかし、また、そういった部外者からの素朴な質問は、激論中の人達に、少しだけ、息をつかせることもできたのかもしれない。

「コベントリーは、私達イギリスのフリースタイラーにとっては、一番大切は競技会なの。しかも、主催者のラグビークラブは、とてもしっかりしたクラブなので、また来年も、きちんと行われると思いますよ。だから、心配しないで。」

その口調には、何も知らない部外者からの素朴な質問への哀れみが感じられ、そして、発言者の悲しみが感じられた。

どうして、こんなことになってしまうのだろう、という悲しみ。そして、コベントリー競技会への、そして、このフリースタイルという活動に対する深い敬意と愛情。

部外者の私はほっとし、北米からのML参加者もおそらく同じ様にほっとしたに違いない。

2001年のコベントリーの競技会のビデオを、私は幸運なことに入手することができた。

アメリカの友人が、主催、発売元に掛け合ってくれて、私のためにコピーする許可をとってくれたのだ。

それは、あのアティラがチャップリンのルーティーンを発表し、ティナ・ハンフリーのブルーマールのワーキングシープドッグが立ってハンドラーを先導し、キャス・ハードマンがカンカンを踊り、マリー・レイが芸術的なヒールワークをキズィと見せた年だ。

リチャード・カーティスが、初めてコベントリー競技会に参加した年だ。

このビデオを見るたびに、2001年、その場にいた人達をうらやましく思う。

これらのルーティーンを実際に見た人達の興奮がうらやましい。その興奮を、直に感じた人達の感動がうらやましい。

確かに、この競技会は、人々にとても大切に思われている競技会なのだろう。

そこには、犬と人が一緒に過ごした時間と空間と、そして意志が凝縮されている。

私達も、いつか、日本でもこんな興奮をもたらしてくれるフリースタイルの祭典・・・そう、コベントリーは、競技会というに留まらず祭典なのかもしれない・・そんな祭典が開催され、参加できることを、素直に夢見ている。 

kuro 

at 00:35コメント(1)トラックバック(0)フリースタイル 

2004年02月24日

昔、某市のまちづくり団体がイベントで「ビオトープ」をするっていうわけ。
イベントでビオトープ?いまいち意味が解らなかったんだが、取材にいってみて理解できた。

子供たちが、水槽の中の魚とかをさわりちゃんこしてる。この企画を企てた人は自慢げに言った。

「自然とふれあうことがなくなった今、こういった場所でふれあうことが教育なんですね」

つまり、タッチングプールとビオトープを勘違いしてるのだ。子供たちも大人たちも、まるでUFOキャッチャーのおもちゃのように魚をつかみ、プールからあふれた魚は誰かが踏んづけたみたいで、腸がにゅるりんと飛び出していた。

作家のカイコウさんは、アラスカかどこかの自然の中に身を置き、湖ではねた魚を鳥が捕りb、その鳥をさらに大きな鳥が捕る様子を見て「輪廻、それは目視できるのである」と書いている。

自然とふれあうってことは、そういうことだと思える。そこには死ってもんが身近にあるし、ましてやそれを劇場風に演出してみても、UFO キャッチャーと変わらない。

で、自然とふれあうなんていうことは本来そういうことだっていうのは、ムツゴロウ自身が自分の著書の中で何回も書いてることじゃねーか。

さて、生活のために何かを売り渡すというのは、金額の大小の差こそあれ、資本主義の世の中ではあたりまえにあることだ。だからこそ、昔から「魂まで売るのか」なんていう言葉がよく、文学や映画などのつくりものの世界で語られてきた。

でも、その売る「魂」に価値があるのなら、たとえば青臭いロマンや、実現不可能と思われる夢でさえ、それは金になるはずだ。

・・・(ましてや、文学や映画はそういった世界であるはずだ)

Mパテー商会、今の「日活」の創業者は、滞在中のホテルの訪れてきた名もないみすぼらしい中国人の青年に革命の資金を提供した。やがてその資金の提供のため、Mパテー商会は負債をかかえ倒産するが、そのロマンを金に換え、金をまたロマンに換えるという精神は、「日活ヒーロもの路線」の映画に色濃くでている。

海外では民間の宇宙船建設に、投資する奴もいる。それは金が金を産むという投資の形ではなく、その無謀なプロジェクトのたったひとつの吸引力である「夢」に金をはらっているのだとしか思えない。

売る魂に、価値があるなら、本来それは金にならなければならない。

しゃて、メディアの力と大衆の力を過信した道化は、どんな夢を見せてくれたか?
それは、本人の書くところに生命力の輝ける美しさでもなく、あらゆる生命との輪廻・・・つまり関係でもない。ただたんなる「かわいい」という本人の望まぬ大衆の意識だけだったということではないだろうか?

売る魂に価値がないのか、それともそれを買う人間に価値がわからないのか、いやむしろ、そんなことはどうでもいいのだ。自分の姿が見えない、もしくは自分の姿を見ない道化である「はだかの王様」ほど、かっこ悪いものはない。

いずれにせよ、ムツゴロウブランドを取り巻く商業主義は、現在の日本を始め、多くの国で横行しているポスト商業主義の王道をいく、「大衆をいかに騙すか」というものであることは間違いなさそうだ。

この穴のあいた風呂敷に乗っかるバブルを夢見るガリンペイロたちは、多くの混乱を巻き起こすだろう。

さて、そのとき「はだかの王様」はどのような責任をとれるというのだろうか?
まさか、年でお亡くなりになりましたとか、ライオンに喰われましたってオチではないだろうな・・?恐るべし・・・。(西鶴)

at 11:50コメント(1)トラックバック(0)陰鬱なるニュース 
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プレスに配られたという畑さんの御挨拶

新年おめでとう御座居ます。
清々しい新しい年の生活をお始めのことと思います。
さて、原野に住む私たちにとっても、2004年は特別な年になりました。
長年、北の地で培ったものを都会で展開するのは私たちの夢でしたし、五年ほど前から、具体化を模索してきました。途中、いろいろ噂が流れましたが、ようやく、ここぞという場所にめぐりあい、暖かく受け入れていただけることにもなり、こうして第一報をお届け出来る段階までこぎつけました。
 私たちは、すべての動物をひきつれ、全員、東京へと進出します。
皆さま、よくご存知の東京サマーランド、そこに隣接するファミリーパークが、私たちの約束の地であり、三月には移転を完了し、東京ムツゴロウ動物王国と名づけ、四月には開国したいと考えています。私たちは、自然は友だち、動物は友だちと信じ、さまざまな技術を習得し、ソフト面を開発して参りました。それを多くの人に手渡し、楽しんでいただく空間にしたいと願っています。
何がどうなっていくか?それは私たちにもよくつかめていません。
しかし、人と自然の距離がますます遠く離れていく昨今、私たちが生きものと遊ぶ姿は、大切なものを伝え得ると確信しています。
近い将来、皆さまに直接おこしいただいて、何をどうしようとしているのかをじかに見ていただく機会を作りたいと考えています。その節は、何卒、よろしくお願いたします。

畑 正憲
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さて、この東京ムツゴロウ王国の仕掛け人は、(株)グローカル21。(株)マツモトキヨシ会長で衆議院議員の松本かづな氏と(株)ムツプロの畑正憲代表取締役が連携して設立、流山市の新川耕地有効活用計画に参画するために、(株)グローカル21(中山晴夫代表取締役)が、北海道浜中町の「ムツゴロウ動物王国」を全面的に流山に移転させる計画を平成12年8月に発表し、関係者との調整を行っていたが、300人を超える地権者や行政の取り組みなどを考慮した結果、撤退する事になったという会社だそうで…。つまり、流山市内の予定地の、農地転用の内示は昨年8月に下りていた、その結果、あきるの市に来ることになったとか。(西鶴)

at 11:33コメント(1)トラックバック(0)陰鬱なるニュース 

2004年02月23日

犬と踊るblogを始めました。
blogっていうのは、Web Logの略語でウェブ上の日々の新聞やテレビなどのニュースを紹介し、その記事に対する何らかのコメントを加えたウェブページのこと。
この「犬と踊るblog」では、フリースタイルのことはもちろん、犬に関連するいろんな気になるニュースとかを紹介していきたいと考えています。
読んだ人がコメントをつけられるので、よろしければお願いします。

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