2004年12月22日

ウォッチ 
ディヴォ 真剣に見る
ダダ   真剣に見ている顔をする

フリースタイルの演技でハンドラ-が指示を間違える
ディヴォ 間違えた指示通りに動く
ダダ   間違えないで動く

ごはんの支度中
ディヴォ 足元で待つ
ダダ   おふとんの上で待つ

いたずらを見つかった
ディヴォ 悪いのは僕ですという
ダダ   ディヴォ兄ちゃんの言う通りですという
196ad5d0.jpg

↑正しいくわえかた(モデル:ディヴォ)
1bcef113.jpg

↑間違ったくわえかた(モデル:ダダ)

at 11:19コメント(0)トラックバック(0)my dogs 
演技中に吠える犬を、吠えない様にするには、どうするか?

服従訓練では吠えることがなかった犬達が、フリースタイルの世界で吠え出した時、それをとめる方法はあるのでしょうか?

「そもそも、犬たるもの、ハンドラーの指示もないのに吠えるべからず」という考え方の場合は、フリースタイルを止めるということが考えられます。それが一番の方法でしょう。

止めてしまえば、吠えることはありません。他の犬や人にガウガウする犬は、他の犬や人に会わせない、という方法と同じです。対処として、最短の改善の方法です。

犬がフリースタイルで吠えるのは、楽しくて、興奮して、その表現方法として吠えている、と考える場合、数種類の考え方ができるでしょう。

ひとつは、「興奮して吠える程には楽しくない」訓練としてフリースタイルをやる、という方法があります。犬が楽しむ、という点を、最大限そぎ落していくわけです。そうすれば、犬は吠えずに演技をすると考えられます。

その「興奮して吠える程には楽しくない」程度をどこに持っていくかは、ハンドラーの犬に対する考え方の反映となる部分かもしれません。

また、この「犬が興奮して吠える程には楽しくない」という考え方は、「犬に、静かに演技をする」ことを経験してもらうための手段として使える考え方かもしれません。

犬が楽しみ、しかも、一緒に踊りたい場合、特に、ダダのように、何度も「人前では吠えながら演技をする」経験、しかも、拍手をいただいてしまっている経験を持って、「人前では吠えて演技するのが正しい」と確信してしまっている犬にとっては、長い道のように思えます。

日常の練習中、静かにお勉強を楽しんでいるダダを見ると、あの、人前での大騒ぎが嘘のようです。

いつか、ダダが、人前でも静かに演技することができる日が来るのでしょうか?
                      kuro

at 02:25コメント(0)トラックバック(0)フリースタイル 
なぜダダは、演技中に吠えるのでしょう?

これにはいろいろな意見もある様なのですが、おそらく、ダダの場合は、その演技の様子を見た方達の意見に、一番の真実がある様に思います。

「ダーちゃん、ママにお返事しながら踊っているのね。」

始めの頃の「ヒャンヒャン」や「ウワオィ」は、ダダは、私のコマンドに、いちいちお返事をしていたのでしょう。

フリースタイルは、犬と人とのインターアクションです。このインターアクションを楽しんでいるダダは、もともと彼女の個性とも呼べる性格として、いちいち、私のいうことに、日常的に声でお返事をするくせのある犬です。

「ダーちゃん、おてて繋ごうね(リードをつけて散歩に行く時)」「ウワォン(うんっ!)」「ダーちゃん、爪を切るからこっちへ来て」「ヒュンヒュン(だって、でも~・・は~い)」「ただいま」「ウォゥィ~(ママ~、淋しかったのーー)」

このダダが、演技中、私のコマンドに、いちいち声を挙げて返事をする、というのは、とても自然に考えられることです。楽しければそれだけ、その声が大きくなり、その大きな声をあげることの楽しさが、さらに声を出すことに拍車をかける。

そしてハンドラーとしての私は、彼女の吠える声に呼応するかの様に、細かくコマンドを出しているわけです。ダダは、踊るというインターアクションのみならず、声を出して会話をすること自体を、さらに、さらに、楽しんで、興奮していってしまったというわけです。


吠えることは、ある意味、犬が喜んで、興奮していることの副産物と、フリースタイルの世界では考えられています。それまで服従訓練をうけていた犬達がフリースタイルに関わった時、服従訓練では吠えることがなかったのに、フリースタイルでは吠え出す、という現象が多く見られます。

Dr. Attila は、服従訓練などの、古くから行われてきた犬の訓練競技で吠える犬がいないのは、「そこには、犬が興奮すべきことが何もないから吠えるわけがない。」といいます。

アジリティやフライボールでは、犬が吠えることは規制の対象ではないので、ハンドラーもいちいちそれを気にしません。特に、フライボールにおいては、犬の吠える声は、耳を劈きます。フライボールでは、犬はハンドラーの指示を気にする必要が極端に少なく、それこそ、「とりつかれた」様に競技に没頭して良いのです。

しかし、フリースタイルでは、この興奮、そして吠えることがエスカレートしてしまい、トンネルヴィジョンに入ってしまうほどの物になると、「一緒に踊る」というコンセプトが成り立ちません。

犬は吠えながらも楽しんでいるのですが、ハンドラーである私は、とても楽しめません。「一緒に楽しむ」というコンセプトも成り立たないのです。

そして、この手の興奮は、どこかで歯止めをかけないと、麻薬のように、どんどんとエスカレートしてしまうのです。

多くの、服従訓練競技で優秀な成績を納めたことのある犬達が、フリースタイルで吠えている光景は、一般的に見られます。「興奮すべきことのない」服従訓練を経験してきた犬達が、興奮できる楽しみを見つけた、ということなのかもしれません。lucky you, doggies!
                          kuro

at 02:18コメント(0)トラックバック(0)フリースタイル 
フリースタイルの演技中に、吠える犬達がいます。

うちのダダは、その中でも、特に「ひどい」お喋り犬です。

始めた当初は、演技中、口の中で、「フニャフニャ」「ヒャンヒャン」と言いながら動き、特に、スピンやジャンプの時に「フキャン」とか「ヒェン」とかの奇声を発していました。

これらの声は、あたかも、私のコマンドに返事をしているようでした。「オッケー」「ヨッシャ」「これでどうよ」、そんなふうに返事をしながら演技をしているかに見えました。特に、得意な動きの時には、「ワゥォンワゥォン」などと言いながら動き、それは、かけ声の様にも聞こえるのです。

インドアの会場では、彼女の声は響き渡り、うるさくてしかたがないのですが、アウトドアの会場では、それが、見ている人達に、インターアクションを楽しんでいると映ったりして、そのうるさい彼女の演技にも拍手をしてくださっていました。

そして、なにより、彼女はしっぽを振りながら、実に楽しそうに、唄いながら踊るのです。

それで、私も、真剣に、このことに取り組んでいませんでした。

しかし、ちょうど一年ほど前から、この声は、本当にひどい吠え声に変わってきました。「ワンワン」と吠えるのです。「ワンワン」とうるさく吠えることが始まった最初の頃は、スピンやジャンプや又潜りなどの動きの時に吠えました。ヒールワークが始まると、静かに動きます。

その状態で、今年、数度のデモを繰り返しました。人前で演技をするたびに、その吠える声は大きく、回数も多く、だんだん、黙って演技する時間は短くなりました。ヒールワークでさえ、吠えながらするようになりました。

10月最後のデモでは、私が始まりの合図をした瞬間から、勝手に動きながら「ワンワン」と吠え続ける様になってしまいました。

「吠える」様になったダダについて、今年は、このことを最重要視して練習をしたため、練習中には、吠えることなどなく、「ヒャンヒャン」や「ヒェン」も大変に少なくなっていました。

演技中、声を出してはイケナイ、と言うことを彼女は覚えたのです。但し、彼女の中では、それは、「練習中」という状況での特異的なこと、としての認識になってしまいました。

そして、私の思惑とは逆に、彼女は、「人前の演技では吠えて良い」と確信してしまいったようでした。確信した彼女は、吠えながら「トンネルヴィジョン」に入ってしまいます。「とりつかれた」様に、吠えながら踊るのです。

こうなると、私の声は耳に入りません。音楽が始まり、私が最初のコマンドを言った時から、覚えた動きを覚えた順に、私に関係なく、勝手に踊るわけです。自分の声で、私の声など、とても聞こえない状態です。これでは一緒に踊ることができません。

このトンネルヴィジョンの中に彼女を追いやってしまったのは、ハンドラーとしての私の責任でしょう。人前でも、声を出しはイケナイのだよ、と言うことを、彼女に覚えてもらうこと。これは、人前での演技中に彼女に教えるしかないのです。  kuro



at 02:11コメント(0)トラックバック(0)フリースタイル 

2004年12月09日

11月の競技会は、私にとっては苦い経験だったのですが、個人的には、とても嬉しかったことがありました。

今回の競技会にあたって、一度どうしてもやりたかったことを取り入れることをお願いし、実行することができました。それは、Sクラス=初心者クラスの規定です。

Sクラス=初心者クラスでは、競技者が希望すれば、競技リング内で、オヤツやおもちゃなど、犬にとってのモーティベーターとなるものをハンドラ-が持ち込めることとし、また、リードをつけての演技も可能としました。

アメリカのWCFOでは、初心者のクラスでは、リード付きというクラスがあります。でも、モーティベーターの携帯は、禁止です。私は、いつも、リード付きが有りならば、おもちゃ携帯、オヤツ携帯も有りだろう、と思ってきました。

リードもおもちゃも、初心者にとっては、犬がハンドラーと一緒に数分間の演技をこなすための、安全弁の様な働きをします。ハンドラーにとっては、イザという時に、自分が、それに対処するすべを持っているという意味での、安心の材料です。しかし、リードとおもちゃでは、その働きが、若干違う様に思います。

リードは、犬がどこかへいってしまおうと思ってその行動を起こした時、その行動を物理的にとめることができます。リードコントロールによって訓練を受けている犬には、リードの存在自体が、どこかへ行こうと思わないためのハンドラーからの抑止力となるのかもしれません。

おもちゃやトリーツといったモーティベータ-の場合は、犬がどこかへ行こうと思うことなく、そのモーティベーターを持つハンドラーを魅力ある存在とするはたらきを持つものです。ハンドラーと一緒に楽しもう、と犬が思うことができる様になる方向性を持っていると思うのです。

いずれにしろ、ハンドラ-が何を持っていようと、競技会の場で、犬が少しでも楽しい思いをすることができたら、それは第一歩です。

そういう意味で、今回のSクラスは、私は素晴らしかったと思っています。リード付きで出場した犬も、ほとんど、リードは「ついていただけ」「無しで良かった」様子でした。思わずハンドラ-がリードをひいてしまった犬では、あらかじめ規定にしるした通り、ジャッジは、それなりの減点をくわえ、厳しい点数となりました。

犬が楽しめるスポーツであると同時に、犬に対する要求のとても多いこのフリースタイルのリングで、Sクラスでも、リングから逸走した犬はいませんでした。

もちろん、咬傷事件もありませんでした。当たり前のことですが。

  あ、うちの犬は、他の世界的に有名なフリースタイルボーダー達と同様、
  楽しさから興奮して、ハンドラーをつつき、演技の途中、ハンドラーで
  ある私から「いいかげんにしなさい」といわれるという事態ではありま
  したが・・・。まあ、アイスホッケーの選手が興奮して、競技中に、仲
  間に悪口を浴びせるみたいなものと、私は解釈しています。

次のステップヘの踏み台となる競技会だったらイイな、と思います。
                           kuro

at 20:01コメント(0)トラックバック(0)フリースタイル 

2004年11月25日

目で追う犬達といっても、シープドッグとしての習性のことではなく、家族としてのうちの犬達の、精神構造のこと、、、とでもいいましょうか・・・。

私の犬達が、常に私のことを目で追っている、という指摘を受けたことがあるのです。ある場所で、多くの人と犬が集まって、トレーニングをしていた時のことです。

その夜、そのような指摘を受けたのですが、その時、私は、それをどう解釈して良いかが解りませんでした。

聞き返すような形になったのですが、聞いてみると、昼間、いろいろな方や犬と交流を持つために、時には、私は犬達を設えられたサークルに入れていたその時に、私の犬達は、常にと言って良い程、私を目で追っていたそうです。

そばにいれば、安心して、私以外のまわりの出来事に興味を持ち、観察し、時には集中したり、あるいは勝手に眠っていたりするいる私の犬達ですが、いったん私が彼等から離れると、見知らぬ場所では、彼等の気持ちは、常に私を待っているという風情なのかもしれません。

その指摘は、是正した方がよいのではないか、という示唆としての指摘でした。犬が、私を離れた、自分自身の世界を持つことが必要だと。

思い返してみれば、私は、犬が、自分を目で追ってくれるような存在でいたいと思っていました。

自宅で、仕事場で、犬達は、思い思いの場所で、リラックスして休んでいます。私の車の中でも、彼等は安心して休んでいます。彼等をおいて出かけても、それが日常的な行動の一環である場合、彼等は、見送りにも来ませんし、おいていかれることを、別段不思議なことではないと認識しているようにも思えます。いちいち私を目で追うこともありません。

しかし、いったん「外」へ出て、自分達のテリトリーから離れ、私と彼等を繋ぐものが気持ちそのもの以外にない状態では、私の存在は、彼等にとって、重要なことであって欲しいと、そう思ってきました。

ですから、その指摘が、好ましくないこととしてのものであったことに驚きました。驚いたがために、深くその理由を訊ねることなく、「自分は、自分と犬との関係を、そのように持ちたいと思っている」と答えました。

「是正した方がよい」という、その指摘の意味を、深く聞くことはありませんでした。

今、その理由を、少し、推察することはできます・・・。

でも、一生涯独立していかない子供達なのですから、やっぱり、今までの通りでやっていこうと思います。           
                          kuro



at 01:56コメント(0)トラックバック(0)my dogs 

2004年11月19日

私の犬達は、ペットドッグです。今流に言うと、ファミリードッグかな。一緒に寝起きし、一緒に出かけ、一緒に楽しみ、一緒に悲しみ、互いにわがままを言い合っています。

11月12日から3日間、競技会一日をはさんでセミナー2日間という、フリースタイルのイベントが開催されました。この3日間の講師と競技会のジャッジとして、イギリスから、アティラ・スクカレク氏を招きました。

数年前から、私は、アメリカ、イギリスなどのフリースタイル関連のメーリングリストに参加し、その中での意見交換から、何人かの、アメリカ・イギリスのフリースタイラーと友人になりました。それは、私の一緒に踊りたいという願望に、気楽につきあってくれている犬達がいるからです。

アティラも、その中の1人です。このアティラが日本のフリースタイルに興味を持ってくれました。ここぞとばかりに日本のトップフリースタイラー達のビデオを送り、コメントをもらい、私からは、彼のトレーニングビデオに対する感想を送り、そんなふうに、時折連絡を取りあっていました。

友人、と表現しましたが、相手は世界に冠たるフリースタイラーです。アメリカの友から、彼は、とても人柄が良い、とは聞いていましたが、成田で会うまでは、やはりどんなヒトかと、ちょっとドキドキしました。

あってみると、思った通り、大変にリラックスした、カジュアルな人で、すぐに話は、私の犬達についての質問となりました。その後は、メーリングリストで名前だけ知っている米英のフリースタイラー達のゴシップ、ともに所属するWCFOのこと、そして、彼がビデオで見た、日本のトップの人達についての質問へ、さらには、犬との暮らし方、犬のトレーニングに対する考え方へと話題は移っていきました。

話しているうちに、だいぶ前にあるメーリングリストに送った私の投稿の内容をちゃんと覚えていてくれて、そこから話を展開し始めたことには、ちょっと驚きました。初めて会った人と、共通の認識を持った状態から会話を始められるインターネットの力は、やはり、大きなものですね。

アティラによるセミナーと、彼のジャッジする競技会は、小さな規模ながら、多くの方からの援助により、とても楽しいイベントとして終わりました。

自分の犬達の良いところを全く表現できなかった私にとっては、競技会は苦い経験に終わりました。そして、競技終了後、私の酔狂につきあってくれている犬達に、思いっきり感謝できない自分の姿がそこにありました。

競技に勝つための方法は、いろいろあるでしょう。

それは、「競技に勝つ」ではなく、「満足の行く演技をする」方法と言いかえることもできます。競技の勝敗は審査により決まるのですが、満足するかどうかをきめるのは、ハンドラーである私、ということです。

しかし、言い換えてもやはり、それを決するのは犬ではなく、廻りにいる人間です。犬達は、ハンドラ-が微笑めば、それで満足してくれる。

考えてみれば、様々な勝つため・満足するための方法の選択は、多くの中から自分が選択する犬のトレーニング方法と同じ様に、最終的には、自分が犬とどう暮らしたいか、という命題への自分なりの解答の表現です。

勝負に勝ちたいかと問われれば、多くの人の答えは yes でしょう。私もそうです。
では、その勝負のために自分の犬を競技犬にしたいかと問われれば、私の答えは、どうしても no です。

アティラが帰国する前夜、別れて家へ帰る途中、この約1週間の出来事や、アティラと話し合った、または教わった、様々なことを思い返しました。そして、私が思いいたったのは、ペットドッグとしての、一緒に暮らす家族としての犬等と一緒に踊りたい、という、フリースタイルの原点でした。
                              kuro

at 00:11コメント(2)トラックバック(0)フリースタイル 

2004年10月20日

アメリカのWCFO(WorldCanine freestyle Organization)の開催するビデオ競技会に一年に一度は参加しようと思っているのですが、なかなか、コンスタントに参加できないでいます。

この競技には、ルーティーンを作り上げ、それをビデオに撮って、ニューヨークの本部に送るだけで参加できます。ビデオに撮るのだから、何度でもやり直しができる(編集は不可)ので、その点、ライブで行われる競技会に参加するよりはず~っと簡単だろう、と最初は思っていました。

しかし、参加してみると、これは、ものすごく大変な作業でした。

まず、場所。競技用のリングサイズは18メートル x 9メートルと決められているので、そのスペースを確保できないといけないわけです。平坦で、犬の脚に負担が少なく、しかも、音楽をかけられて、さらに、その音が他の騒音にじゃまされずに録音できる場所を確保するのは、とても難しい。

インドアの、この要求を満たす場所を個人で探すのは、私が暮らす首都圏ではほとんど無理です。

っというわけで、河原の様な場所でのビデオ撮り、という事になります。河原の草が茂り過ぎていず、ぬかるんでもいない、風の無い、お日様がでている休日に、ビデオを撮ってくれるカメラマンにお願いして、ビデオ撮影をします。

河原の駐車場から、ビデオカメラ、オーディオのデッキなどを抱え、衣装を半分身につけて犬を連れてゆくのですが、時にはお目当ての場所に先客がいて、サッカーの練習をしている事もあり、そんな時には、また別の場所を探して、ジプシーの様にさまよい歩くことになります。

普段は遊びに来るこういった場所でビデオを撮ろうとすると、始めのうちは、犬達は遊びモードになってしまい、今日は、真剣なのだと言い聞かせても、なかなか納得してくれません。

デモなどで、普段と違った環境での演技のほうが、その点では、犬も、環境の違いを察してくれて、お仕事モードになってくれることが多い様な気がします。

「ほら、ママは、普段と違って衣装らしきものを着ているでしょっ!」と言ったところで、彼等はそんな事かまっちゃいない。ママが遊んでくれないなら、ビデオを撮ってくれる人がきっと遊んでくれるはずと信じている、まことに正直な愛すべき犬達です。

やっと犬をその気にさせると、大勢の人目のある場所での作業でもあり、こんどは私が緊張して、うまくいかない。繰り返すうちに、なんとか犬との呼吸があい、なんとかなりそう、と思った途端、ポーズをとっている私達のすぐ前を、自転車に乗った男性が口笛を吹きながら横切ったり、ジェット機の爆音が全ての音を消し去ってしまったり。

ビデオでの参加なら、何度もやり直しができるから、最高の演技で参加できるというのは机上の空論であって、実際には、そうはいかないことを実感します。しかも、何度も撮りなおせば、人も犬も、精神的に肉体的に疲れます。そして、何度も撮り直しができるからこそ、ビデオで見る自分の演技の、些細なことも気になり、そんな時は、やってもやってもうまく行かない、というねじれたスパイラルの中に入り込んでしまったりします。

このいろいろなことを乗り越えての「やり直し」に、表面的には何もいわずにつきあってくれるビデオカメラマンに対し、なんとも、申し訳ない・・・という気持ちが、また、さらに、こちらの焦りを増すのです。

先日は、お口からどうしても声が洩れてしまい、その自分の声がうるさくて私の合図が聞こえないダダと、何度もやりなおしをしました。なんとか、悪い出来ながらビデオ撮りを終了し、帰りの支度をしていると、隣でテニスをしていた少年達が、ダダの音楽を口笛で吹いていました・・・・。

何度も同じ曲を聞かされながら、我慢してくれていたテニス少年達に、感謝。そして、何度もつきあってくれる、気の良いダダに、感謝。(但し、ダーちゃん、この次こそは、黙ってやる様に!)

フリースタイルは、犬も自分も楽しめるスポーツです。でも、犬にも自分にも、そしてまわりの人達にもストレスをかけながら、それでもやることの意味を自分に問いかけると、その原則が揺らぐ様な気もしさえするのです。

しかし、その演技を見たヒトが、なんらかの事を感じ、そのフィードバックを受けることは、ルーティーンを振り付け、練習し、完成させてゆく意欲を維持するためにの大きな力となります。

競技会は、そのひとつの形であって、そういう意味でWCFOビデオの競技会に参加しているのですが、これは精神的に孤独な作業です。もし、たくさんのフリースタイル愛好者達がひとつの場所に集まって、競技会ができたら楽しいだろうなぁ~・・・。

そんな望みを叶えてくれるべく、この秋、11月に、イギリスからアティラ・シュカレクさんを招いて、競技会と、初心者向け、中・上級者向けのワークショップも開催となりました。

詳細につきましては、トップページの競技会・セミナー情報を御参照下さい。

at 21:29コメント(0)トラックバック(0)フリースタイル 

2004年10月10日

とある、有名な、動物行動学者の犬のトレーニングワークショップに参加したヒトが、気分悪く帰ってきたという話を聞きました。

理由は、「スワレ」を10分以上に渡って強いられた自分の犬が、延びをしたくなったらしく動いたことにたいし何もいわなかった自分に、講師があまり上品でない言い方で注意を促した、ということのようです。もちろん、それだけではないのでしょう。

いろいろなことを照らし合わせてみると、このワークショップは、どうやら、犬のトレーニングにとって一番大切なことは、確実性を身につけること、という講師の最近の考えを受講生達に伝えることを目的としているようでした。

「あなたが教えたつもりになっていることでも、本当は犬の身についていないことはいっぱいある。どのくらい犬がきちんと確実にコマンドを拾得しているかを把握し、そうすることにより、確実性を高めるためのトレーニング方法を考え実践することが重要だ。」

ということのようなのですが、そのことは、この、気分悪く帰ってきた受講者には伝わらず、受講者は不快になっただけだったのです。

この「」の中の内容は、この講師が次に行うワークショップのお知らせに書いてあったことです。

どうやら、この講師は、飼い主達に自分のトレーニングの成果を認識させるために、あえて、犬/飼い主が失敗するようなことをさせ、飼い主/ハンドラーにそれを実感させるという方法をとったということなのです。そして、その失敗に対し、受講者が不愉快になるような言い方で臨んだらしい。

犬の訓練・トレーニングでは、一度何かを教えたら、それが確実性を身につけさせるために、「トライ・アンド・パニッシュ」という方法がよく使われていました。「スワレ」を教えたら、何度も繰り替えし、ハンドラーが解除する前に犬が動いたらイケナイといえ・・・つまり、叱れ、罰を与える、という方法です。

この「トライ・アンド・パニッシュ」は、罰がともなう考え方ゆえに、一部からは批判のある方法で、この講師もそれは有効でなく、必要ではないという意見だったと記憶しています。

しかし、この講師が、ワークショップ受講者に対してとった方法が、この「トライ・アンド・パニッシュ」であったことは興味深い。

確かに、「トライ・アンド・パニッシュ」は、教わっている個体に不快で承服しがたい感情を残していて、本来伝えたいと思った内容は、すっ飛んでしまっています。そして、それにより、「トライ・アンド・パニッシュ」の方法が持つ「負の部分」を受き彫りにしています。(まさか、それが目的ではないでしょう・・・ね)

最初から、受講者に、ワークショップの目的と犬にスワレを長時間させる理由を、何度も強調し、納得させておけば、受講者は気分悪くならなかったでしょう。また、もし、それが受講者に伝わっていれば、例え、「トライ・アンド・パニッシュ」でも、受講者はもっと実りある体験ができたかもしれない。

相手の感情をあまり考慮しない、方法論の実践的な展開に、ある種の犬の訓練方法論がかかえる、ある特徴が、また見えたような気がします。    
                     kuro

at 02:16コメント(0)トラックバック(0) 

2004年10月07日

人道的な訓練方法、という言葉を耳にします。

これは、基本的には、operant conditioning という行動学的な考え方を元に、犬に苦痛を与えず、犬の自発性を引き出しながら、楽しくトレーニングする、ということなのでしょう。

ここに、あえて、人道的、という言葉を当てはめたということは、過去において、犬の訓練が人道的でなかったことを証明しています。

実際、私が初めて犬のトレーニングに関わった頃、10年ほど前には、犬の訓練競技会場で、上手にできなかった犬がそのハンドラーに蹴られている光景を目にしたことがありました。人目をはばかることなく、まだ若いハンドラ-が思う存分犬を蹴っていました。

犬が、指示されたことをできなかったからといって、お仕置きとして体罰を加えられている、という事実よりも、それが、堂々と行われていたことに、少なからずショックを受けたことを覚えています。

今では、アジリティの会場で、出走前に「犬に気合いを入れる」といって、犬の首をを持って「シメタ」ハンドラーは、コースオフィシャルから「犬を虐待的に扱った」という理由で退場を命じられたという話を聞きます。

犬に対する考え方、そして、その訓練・トレーニングに対する考え方が、時代とともに変わったということなのでしょう。

今の家庭犬のトレーニングは、特に、ドッグスポーツの分野において、「犬を誉めて、やる気を持たせて、行動を教える」方法をとるという点は、数ある方法論の中でも共通した考え方といえると思います。

しかし、「犬に、してはいけないことを教える」にはどうしたら良いか、という点では、意見が別れているようです。

「してはいけないことを教えるのではなく、好ましい、するべきことを教える」方法をとるか、「積極的にいけないことをいけないと教える」方法をとるか?

私個人としては、経験的には、「してはいけないこと」を教えるのはとても難しく「するべきことを教える」ほうがずっと簡単です。でも、代償行為を教えるだけですましていいものなのか、この疑問は、常につきまといます。

上手にできないことと、やってはいけないことは違うでしょう。また、その行動が、犬やヒトに危険がおよぶことも、また、ドッグスポーツでの失敗とは違う範疇の事柄です。

*アジりティーの出走前に、気が散っている犬を
「シメル」という行為は、どういう意味があるの
 かな、と考えると、たいした意味なく苦痛を与
 えることとして、やっぱり、虐待的行為、と見
 られてしかたのないかも。だって、生きるか死
 ぬかの問題ではあるまいし、他に、犬の気分を
 集中させる方法はいくらでもあるし・・・。


「罰」は、「その直前の行動の頻度を下げる」ことです。犬の「してはいけない行動」の頻度を下げるためにハンドラーが積極的に働きかけ与えることは、「罰」という概念になるでしょう。

犬のなんらかの行動が好ましくなかったといって「蹴る」ことは「罰を与える」ことでしょう。しかし、「罰」は、実際には「蹴る」「殴る」「シメル」という、何やら乱暴な方法以外にも、いろいろあるのです。

ヒトとのコミュニケーションを望んでいる犬を「無視する」というのは、とても大きな「罰」になります。個人的には、おとなの、よく精神的に成熟した犬(ヒトでも同じでしょうか?)以外には、使ってはいけない、厳しい「罰」だと私は思っています。精神的な苦痛は、肉体的な苦痛にまけるとも劣らない、大きな苦痛だと、私は思うのです。

この「罰を与える」という中でも、特に「体罰を与える」、つまり犬に肉体的な苦痛を与えるという方法を、人道的な訓練方法を提唱する人達は嫌っているようです。蹴るということなどは、その一番顕著なことでしょう。

それを、人道的ではない、非人道的であると表現するわけです。

人道的な訓練法を提唱する、ということは、「非人道的な訓練方法の発現頻度を下げたい」という思いを持っているからでしょう。

っで、ここで考えてしまうのです。

「あなたのやっていることは、非人道的だ」といわれて、気分良く「ああ、そうか」と思うヒトは、いったいどのくらいいるのでしょうか?

自らの方法を人道的と表明した瞬間から、それ以外の方法を採用するヒトに、暗に「あなたは非人道的」といっていることにはならないでしょうか?

「非人道的」と呼ばれたら、普通は嫌な気分になるものです。

「罰を与える」方法を非人道的と思うヒトは、その方法を「非人道的」と呼ぶことにより、その方法をとっているヒトに精神的な苦痛という、とても大きな「罰を与えて」いるのではないでしょうか?



at 01:53コメント(0)トラックバック(0)トレーニング 
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