2005年01月07日 21:32

イギリスにいた頃、仕事場の同僚から、よく、マラソンや自転車レースに出場するから、チャリティに参加してくれ、と言われました。

同僚のデイブは、ロンドンからブライトンまでの55マイルを自転車で走ります。その競技に参加するに当たり、彼は、たとえば「エイズ撲滅」などの活動団体に、寄付をすることにします。しかし、実際に、お金を払うのは、彼のまわりの人達です。彼は、まわりの人達に、自分のがんばりにたいしてお金を出して欲しい、と頼むわけです。

彼がまわしてきた紙に、まわりの友人達は、「5マイルに対し10ペンス」とか、「2マイルにつき5ペンス」とか、「完走ボーナスとして1ポンド」「○○時間以内にゴールしたら2ポンドボーナス」とかを書き込むわけです。

同僚や、友人、家族は、彼が完走したことに対し、自分がいくら払う用意がアルかを考えながら、その条件をきめるわけです。ちょっとした、賭けのような要素も含んでいて、なかなか楽しめます。

そういったチャリティを背負って走る人達は、背中に「エイズ撲滅」とか「ゲイに権利を」などのコピーを書いたり、旗を持ったりして競技に参加するのです。

有名なロンドンマラソンでも、有名な世界のトップランナーと同じ、この競技で、この形でチャリティに参加している人達を多く見ます。

競技者は、完走すれば、かなりの金額を寄付することができます。お金を出す人は、大きな金額を支払うわけではありません。競技参加者のがんばりに、ちょっとだけ、自分のお小遣いをさくだけです。

このシステムって、いいなぁって、思います。       kuro



2004年12月30日 01:35

WCFO(ワールド・ケーナイン・フリースタイル・オーガニゼーション)では、競技者向けにGuidelinesを出しています。ガイドラインと表現していますが、これが、競技に参加する上での競技者が守るべき、あるいは考慮すべき方向性ということで、競技審査は、これに基づいて行われる、つまりは、競技の規則というわけです。

Rulesと言わず、Guidelinesとしているところ、なんとなく、興味深いものを感じます。
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2004年12月29日 16:43

数年前に仕事場を移ったのですが、新しい仕事場では、通りに面したガラスの扉越しに、道行く人が犬達に話し掛けるので、それに、お行儀の悪い返事をするという楽しみを、うちの犬達は見つけてしまいました。

時々、事務所に人がいない時は思う存分楽しんでいる痕跡を見つけました。ガラスの扉、足ふきマットなどに、その痕跡は、ちゃんと残っています。それは、「やってはいけないこと」のリストにくわえました。

そして、事務所に犬だけを残す時には、出かける時に、「イイコで御留守番しててね」と言い残すことにしました。

ある時、出かける前に、ディヴォに「御留守番しててね」というと、怠惰に寝転んでいた彼の上半身に力が宿り、目がキラリと光りました。その輝きに警鐘を感じたので、慌てて、「イイコでね」と付け加えました。

「なんだよ、イイコで、かよ。つまんないの」

上半身は、また怠惰に寝そべり、輝いていた彼の目は、また、物憂い表情に戻りました。

事務所に帰った時に、乱行のあとはなく、犬達は、嬉しそうに迎えてくれました。

「イイコ」を犬達は、どのように理解しているのでしょうか?
                            

「でも、娑婆はダメばっかり・・・。」

子犬にダメダメを言い過ぎた、もしかしたらそのせいで信頼関係を築けていないのかもしれない、と言ったある方の言葉です。

これを読んだ時、私は思わず「すごい名言!」

私も、うちの犬達が子犬の頃は、ダメダメばっかり言っていた気がします。

ダメばっかりだと、なんとなく「収支」があわないので、なるべく誉めたいのですが、ほめることがなかなか見つかりません。

そこで、別に良いことをしていなくても、ダメなことをしていない時には、折にふれ「イイコね~、オリコウさんねぇ~」と言うようにしました。

寝ている時「イイコね」、カミカミしている時「オリコウさんね」、起きた時「イイコね」、ごはんを食べている時「オリコウさんね」、用を足した時「イイコね、上手ね」、立った時「偉いのね」、座った時「すご~い」、こちらへ来た時「オリコウさんね」、、、、

ダメと言う必要のないことについては、全て「イイコ、オリコウさん」。

収支があって、こちらの気分が楽しくなります。

2004年12月22日 11:19

ウォッチ 
ディヴォ 真剣に見る
ダダ   真剣に見ている顔をする

フリースタイルの演技でハンドラ-が指示を間違える
ディヴォ 間違えた指示通りに動く
ダダ   間違えないで動く

ごはんの支度中
ディヴォ 足元で待つ
ダダ   おふとんの上で待つ

いたずらを見つかった
ディヴォ 悪いのは僕ですという
ダダ   ディヴォ兄ちゃんの言う通りですという
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↑正しいくわえかた(モデル:ディヴォ)
1bcef113.jpg

↑間違ったくわえかた(モデル:ダダ)

演技中に吠える犬を、吠えない様にするには、どうするか?

服従訓練では吠えることがなかった犬達が、フリースタイルの世界で吠え出した時、それをとめる方法はあるのでしょうか?

「そもそも、犬たるもの、ハンドラーの指示もないのに吠えるべからず」という考え方の場合は、フリースタイルを止めるということが考えられます。それが一番の方法でしょう。

止めてしまえば、吠えることはありません。他の犬や人にガウガウする犬は、他の犬や人に会わせない、という方法と同じです。対処として、最短の改善の方法です。

犬がフリースタイルで吠えるのは、楽しくて、興奮して、その表現方法として吠えている、と考える場合、数種類の考え方ができるでしょう。

ひとつは、「興奮して吠える程には楽しくない」訓練としてフリースタイルをやる、という方法があります。犬が楽しむ、という点を、最大限そぎ落していくわけです。そうすれば、犬は吠えずに演技をすると考えられます。

その「興奮して吠える程には楽しくない」程度をどこに持っていくかは、ハンドラーの犬に対する考え方の反映となる部分かもしれません。

また、この「犬が興奮して吠える程には楽しくない」という考え方は、「犬に、静かに演技をする」ことを経験してもらうための手段として使える考え方かもしれません。

犬が楽しみ、しかも、一緒に踊りたい場合、特に、ダダのように、何度も「人前では吠えながら演技をする」経験、しかも、拍手をいただいてしまっている経験を持って、「人前では吠えて演技するのが正しい」と確信してしまっている犬にとっては、長い道のように思えます。

日常の練習中、静かにお勉強を楽しんでいるダダを見ると、あの、人前での大騒ぎが嘘のようです。

いつか、ダダが、人前でも静かに演技することができる日が来るのでしょうか?
                      kuro

なぜダダは、演技中に吠えるのでしょう?

これにはいろいろな意見もある様なのですが、おそらく、ダダの場合は、その演技の様子を見た方達の意見に、一番の真実がある様に思います。

「ダーちゃん、ママにお返事しながら踊っているのね。」

始めの頃の「ヒャンヒャン」や「ウワオィ」は、ダダは、私のコマンドに、いちいちお返事をしていたのでしょう。

フリースタイルは、犬と人とのインターアクションです。このインターアクションを楽しんでいるダダは、もともと彼女の個性とも呼べる性格として、いちいち、私のいうことに、日常的に声でお返事をするくせのある犬です。

「ダーちゃん、おてて繋ごうね(リードをつけて散歩に行く時)」「ウワォン(うんっ!)」「ダーちゃん、爪を切るからこっちへ来て」「ヒュンヒュン(だって、でも~・・は~い)」「ただいま」「ウォゥィ~(ママ~、淋しかったのーー)」

このダダが、演技中、私のコマンドに、いちいち声を挙げて返事をする、というのは、とても自然に考えられることです。楽しければそれだけ、その声が大きくなり、その大きな声をあげることの楽しさが、さらに声を出すことに拍車をかける。

そしてハンドラーとしての私は、彼女の吠える声に呼応するかの様に、細かくコマンドを出しているわけです。ダダは、踊るというインターアクションのみならず、声を出して会話をすること自体を、さらに、さらに、楽しんで、興奮していってしまったというわけです。


吠えることは、ある意味、犬が喜んで、興奮していることの副産物と、フリースタイルの世界では考えられています。それまで服従訓練をうけていた犬達がフリースタイルに関わった時、服従訓練では吠えることがなかったのに、フリースタイルでは吠え出す、という現象が多く見られます。

Dr. Attila は、服従訓練などの、古くから行われてきた犬の訓練競技で吠える犬がいないのは、「そこには、犬が興奮すべきことが何もないから吠えるわけがない。」といいます。

アジリティやフライボールでは、犬が吠えることは規制の対象ではないので、ハンドラーもいちいちそれを気にしません。特に、フライボールにおいては、犬の吠える声は、耳を劈きます。フライボールでは、犬はハンドラーの指示を気にする必要が極端に少なく、それこそ、「とりつかれた」様に競技に没頭して良いのです。

しかし、フリースタイルでは、この興奮、そして吠えることがエスカレートしてしまい、トンネルヴィジョンに入ってしまうほどの物になると、「一緒に踊る」というコンセプトが成り立ちません。

犬は吠えながらも楽しんでいるのですが、ハンドラーである私は、とても楽しめません。「一緒に楽しむ」というコンセプトも成り立たないのです。

そして、この手の興奮は、どこかで歯止めをかけないと、麻薬のように、どんどんとエスカレートしてしまうのです。

多くの、服従訓練競技で優秀な成績を納めたことのある犬達が、フリースタイルで吠えている光景は、一般的に見られます。「興奮すべきことのない」服従訓練を経験してきた犬達が、興奮できる楽しみを見つけた、ということなのかもしれません。lucky you, doggies!
                          kuro

フリースタイルの演技中に、吠える犬達がいます。

うちのダダは、その中でも、特に「ひどい」お喋り犬です。

始めた当初は、演技中、口の中で、「フニャフニャ」「ヒャンヒャン」と言いながら動き、特に、スピンやジャンプの時に「フキャン」とか「ヒェン」とかの奇声を発していました。

これらの声は、あたかも、私のコマンドに返事をしているようでした。「オッケー」「ヨッシャ」「これでどうよ」、そんなふうに返事をしながら演技をしているかに見えました。特に、得意な動きの時には、「ワゥォンワゥォン」などと言いながら動き、それは、かけ声の様にも聞こえるのです。

インドアの会場では、彼女の声は響き渡り、うるさくてしかたがないのですが、アウトドアの会場では、それが、見ている人達に、インターアクションを楽しんでいると映ったりして、そのうるさい彼女の演技にも拍手をしてくださっていました。

そして、なにより、彼女はしっぽを振りながら、実に楽しそうに、唄いながら踊るのです。

それで、私も、真剣に、このことに取り組んでいませんでした。

しかし、ちょうど一年ほど前から、この声は、本当にひどい吠え声に変わってきました。「ワンワン」と吠えるのです。「ワンワン」とうるさく吠えることが始まった最初の頃は、スピンやジャンプや又潜りなどの動きの時に吠えました。ヒールワークが始まると、静かに動きます。

その状態で、今年、数度のデモを繰り返しました。人前で演技をするたびに、その吠える声は大きく、回数も多く、だんだん、黙って演技する時間は短くなりました。ヒールワークでさえ、吠えながらするようになりました。

10月最後のデモでは、私が始まりの合図をした瞬間から、勝手に動きながら「ワンワン」と吠え続ける様になってしまいました。

「吠える」様になったダダについて、今年は、このことを最重要視して練習をしたため、練習中には、吠えることなどなく、「ヒャンヒャン」や「ヒェン」も大変に少なくなっていました。

演技中、声を出してはイケナイ、と言うことを彼女は覚えたのです。但し、彼女の中では、それは、「練習中」という状況での特異的なこと、としての認識になってしまいました。

そして、私の思惑とは逆に、彼女は、「人前の演技では吠えて良い」と確信してしまいったようでした。確信した彼女は、吠えながら「トンネルヴィジョン」に入ってしまいます。「とりつかれた」様に、吠えながら踊るのです。

こうなると、私の声は耳に入りません。音楽が始まり、私が最初のコマンドを言った時から、覚えた動きを覚えた順に、私に関係なく、勝手に踊るわけです。自分の声で、私の声など、とても聞こえない状態です。これでは一緒に踊ることができません。

このトンネルヴィジョンの中に彼女を追いやってしまったのは、ハンドラーとしての私の責任でしょう。人前でも、声を出しはイケナイのだよ、と言うことを、彼女に覚えてもらうこと。これは、人前での演技中に彼女に教えるしかないのです。  kuro



2004年12月09日 20:01

11月の競技会は、私にとっては苦い経験だったのですが、個人的には、とても嬉しかったことがありました。

今回の競技会にあたって、一度どうしてもやりたかったことを取り入れることをお願いし、実行することができました。それは、Sクラス=初心者クラスの規定です。

Sクラス=初心者クラスでは、競技者が希望すれば、競技リング内で、オヤツやおもちゃなど、犬にとってのモーティベーターとなるものをハンドラ-が持ち込めることとし、また、リードをつけての演技も可能としました。

アメリカのWCFOでは、初心者のクラスでは、リード付きというクラスがあります。でも、モーティベーターの携帯は、禁止です。私は、いつも、リード付きが有りならば、おもちゃ携帯、オヤツ携帯も有りだろう、と思ってきました。

リードもおもちゃも、初心者にとっては、犬がハンドラーと一緒に数分間の演技をこなすための、安全弁の様な働きをします。ハンドラーにとっては、イザという時に、自分が、それに対処するすべを持っているという意味での、安心の材料です。しかし、リードとおもちゃでは、その働きが、若干違う様に思います。

リードは、犬がどこかへいってしまおうと思ってその行動を起こした時、その行動を物理的にとめることができます。リードコントロールによって訓練を受けている犬には、リードの存在自体が、どこかへ行こうと思わないためのハンドラーからの抑止力となるのかもしれません。

おもちゃやトリーツといったモーティベータ-の場合は、犬がどこかへ行こうと思うことなく、そのモーティベーターを持つハンドラーを魅力ある存在とするはたらきを持つものです。ハンドラーと一緒に楽しもう、と犬が思うことができる様になる方向性を持っていると思うのです。

いずれにしろ、ハンドラ-が何を持っていようと、競技会の場で、犬が少しでも楽しい思いをすることができたら、それは第一歩です。

そういう意味で、今回のSクラスは、私は素晴らしかったと思っています。リード付きで出場した犬も、ほとんど、リードは「ついていただけ」「無しで良かった」様子でした。思わずハンドラ-がリードをひいてしまった犬では、あらかじめ規定にしるした通り、ジャッジは、それなりの減点をくわえ、厳しい点数となりました。

犬が楽しめるスポーツであると同時に、犬に対する要求のとても多いこのフリースタイルのリングで、Sクラスでも、リングから逸走した犬はいませんでした。

もちろん、咬傷事件もありませんでした。当たり前のことですが。

  あ、うちの犬は、他の世界的に有名なフリースタイルボーダー達と同様、
  楽しさから興奮して、ハンドラーをつつき、演技の途中、ハンドラーで
  ある私から「いいかげんにしなさい」といわれるという事態ではありま
  したが・・・。まあ、アイスホッケーの選手が興奮して、競技中に、仲
  間に悪口を浴びせるみたいなものと、私は解釈しています。

次のステップヘの踏み台となる競技会だったらイイな、と思います。
                           kuro

2004年11月25日 01:56

目で追う犬達といっても、シープドッグとしての習性のことではなく、家族としてのうちの犬達の、精神構造のこと、、、とでもいいましょうか・・・。

私の犬達が、常に私のことを目で追っている、という指摘を受けたことがあるのです。ある場所で、多くの人と犬が集まって、トレーニングをしていた時のことです。

その夜、そのような指摘を受けたのですが、その時、私は、それをどう解釈して良いかが解りませんでした。

聞き返すような形になったのですが、聞いてみると、昼間、いろいろな方や犬と交流を持つために、時には、私は犬達を設えられたサークルに入れていたその時に、私の犬達は、常にと言って良い程、私を目で追っていたそうです。

そばにいれば、安心して、私以外のまわりの出来事に興味を持ち、観察し、時には集中したり、あるいは勝手に眠っていたりするいる私の犬達ですが、いったん私が彼等から離れると、見知らぬ場所では、彼等の気持ちは、常に私を待っているという風情なのかもしれません。

その指摘は、是正した方がよいのではないか、という示唆としての指摘でした。犬が、私を離れた、自分自身の世界を持つことが必要だと。

思い返してみれば、私は、犬が、自分を目で追ってくれるような存在でいたいと思っていました。

自宅で、仕事場で、犬達は、思い思いの場所で、リラックスして休んでいます。私の車の中でも、彼等は安心して休んでいます。彼等をおいて出かけても、それが日常的な行動の一環である場合、彼等は、見送りにも来ませんし、おいていかれることを、別段不思議なことではないと認識しているようにも思えます。いちいち私を目で追うこともありません。

しかし、いったん「外」へ出て、自分達のテリトリーから離れ、私と彼等を繋ぐものが気持ちそのもの以外にない状態では、私の存在は、彼等にとって、重要なことであって欲しいと、そう思ってきました。

ですから、その指摘が、好ましくないこととしてのものであったことに驚きました。驚いたがために、深くその理由を訊ねることなく、「自分は、自分と犬との関係を、そのように持ちたいと思っている」と答えました。

「是正した方がよい」という、その指摘の意味を、深く聞くことはありませんでした。

今、その理由を、少し、推察することはできます・・・。

でも、一生涯独立していかない子供達なのですから、やっぱり、今までの通りでやっていこうと思います。           
                          kuro



[リズミックポー] トレーニングDVD by Dr Attila
フリースタイルの様々なポジション、
ステップやムーブの教え方を解説。
日本語版は、UKドッグアカデミーへ。
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