2004年10月

2004年10月20日

アメリカのWCFO(WorldCanine freestyle Organization)の開催するビデオ競技会に一年に一度は参加しようと思っているのですが、なかなか、コンスタントに参加できないでいます。

この競技には、ルーティーンを作り上げ、それをビデオに撮って、ニューヨークの本部に送るだけで参加できます。ビデオに撮るのだから、何度でもやり直しができる(編集は不可)ので、その点、ライブで行われる競技会に参加するよりはず~っと簡単だろう、と最初は思っていました。

しかし、参加してみると、これは、ものすごく大変な作業でした。

まず、場所。競技用のリングサイズは18メートル x 9メートルと決められているので、そのスペースを確保できないといけないわけです。平坦で、犬の脚に負担が少なく、しかも、音楽をかけられて、さらに、その音が他の騒音にじゃまされずに録音できる場所を確保するのは、とても難しい。

インドアの、この要求を満たす場所を個人で探すのは、私が暮らす首都圏ではほとんど無理です。

っというわけで、河原の様な場所でのビデオ撮り、という事になります。河原の草が茂り過ぎていず、ぬかるんでもいない、風の無い、お日様がでている休日に、ビデオを撮ってくれるカメラマンにお願いして、ビデオ撮影をします。

河原の駐車場から、ビデオカメラ、オーディオのデッキなどを抱え、衣装を半分身につけて犬を連れてゆくのですが、時にはお目当ての場所に先客がいて、サッカーの練習をしている事もあり、そんな時には、また別の場所を探して、ジプシーの様にさまよい歩くことになります。

普段は遊びに来るこういった場所でビデオを撮ろうとすると、始めのうちは、犬達は遊びモードになってしまい、今日は、真剣なのだと言い聞かせても、なかなか納得してくれません。

デモなどで、普段と違った環境での演技のほうが、その点では、犬も、環境の違いを察してくれて、お仕事モードになってくれることが多い様な気がします。

「ほら、ママは、普段と違って衣装らしきものを着ているでしょっ!」と言ったところで、彼等はそんな事かまっちゃいない。ママが遊んでくれないなら、ビデオを撮ってくれる人がきっと遊んでくれるはずと信じている、まことに正直な愛すべき犬達です。

やっと犬をその気にさせると、大勢の人目のある場所での作業でもあり、こんどは私が緊張して、うまくいかない。繰り返すうちに、なんとか犬との呼吸があい、なんとかなりそう、と思った途端、ポーズをとっている私達のすぐ前を、自転車に乗った男性が口笛を吹きながら横切ったり、ジェット機の爆音が全ての音を消し去ってしまったり。

ビデオでの参加なら、何度もやり直しができるから、最高の演技で参加できるというのは机上の空論であって、実際には、そうはいかないことを実感します。しかも、何度も撮りなおせば、人も犬も、精神的に肉体的に疲れます。そして、何度も撮り直しができるからこそ、ビデオで見る自分の演技の、些細なことも気になり、そんな時は、やってもやってもうまく行かない、というねじれたスパイラルの中に入り込んでしまったりします。

このいろいろなことを乗り越えての「やり直し」に、表面的には何もいわずにつきあってくれるビデオカメラマンに対し、なんとも、申し訳ない・・・という気持ちが、また、さらに、こちらの焦りを増すのです。

先日は、お口からどうしても声が洩れてしまい、その自分の声がうるさくて私の合図が聞こえないダダと、何度もやりなおしをしました。なんとか、悪い出来ながらビデオ撮りを終了し、帰りの支度をしていると、隣でテニスをしていた少年達が、ダダの音楽を口笛で吹いていました・・・・。

何度も同じ曲を聞かされながら、我慢してくれていたテニス少年達に、感謝。そして、何度もつきあってくれる、気の良いダダに、感謝。(但し、ダーちゃん、この次こそは、黙ってやる様に!)

フリースタイルは、犬も自分も楽しめるスポーツです。でも、犬にも自分にも、そしてまわりの人達にもストレスをかけながら、それでもやることの意味を自分に問いかけると、その原則が揺らぐ様な気もしさえするのです。

しかし、その演技を見たヒトが、なんらかの事を感じ、そのフィードバックを受けることは、ルーティーンを振り付け、練習し、完成させてゆく意欲を維持するためにの大きな力となります。

競技会は、そのひとつの形であって、そういう意味でWCFOビデオの競技会に参加しているのですが、これは精神的に孤独な作業です。もし、たくさんのフリースタイル愛好者達がひとつの場所に集まって、競技会ができたら楽しいだろうなぁ~・・・。

そんな望みを叶えてくれるべく、この秋、11月に、イギリスからアティラ・シュカレクさんを招いて、競技会と、初心者向け、中・上級者向けのワークショップも開催となりました。

詳細につきましては、トップページの競技会・セミナー情報を御参照下さい。

at 21:29コメント(0)トラックバック(0)フリースタイル 

2004年10月10日

とある、有名な、動物行動学者の犬のトレーニングワークショップに参加したヒトが、気分悪く帰ってきたという話を聞きました。

理由は、「スワレ」を10分以上に渡って強いられた自分の犬が、延びをしたくなったらしく動いたことにたいし何もいわなかった自分に、講師があまり上品でない言い方で注意を促した、ということのようです。もちろん、それだけではないのでしょう。

いろいろなことを照らし合わせてみると、このワークショップは、どうやら、犬のトレーニングにとって一番大切なことは、確実性を身につけること、という講師の最近の考えを受講生達に伝えることを目的としているようでした。

「あなたが教えたつもりになっていることでも、本当は犬の身についていないことはいっぱいある。どのくらい犬がきちんと確実にコマンドを拾得しているかを把握し、そうすることにより、確実性を高めるためのトレーニング方法を考え実践することが重要だ。」

ということのようなのですが、そのことは、この、気分悪く帰ってきた受講者には伝わらず、受講者は不快になっただけだったのです。

この「」の中の内容は、この講師が次に行うワークショップのお知らせに書いてあったことです。

どうやら、この講師は、飼い主達に自分のトレーニングの成果を認識させるために、あえて、犬/飼い主が失敗するようなことをさせ、飼い主/ハンドラーにそれを実感させるという方法をとったということなのです。そして、その失敗に対し、受講者が不愉快になるような言い方で臨んだらしい。

犬の訓練・トレーニングでは、一度何かを教えたら、それが確実性を身につけさせるために、「トライ・アンド・パニッシュ」という方法がよく使われていました。「スワレ」を教えたら、何度も繰り替えし、ハンドラーが解除する前に犬が動いたらイケナイといえ・・・つまり、叱れ、罰を与える、という方法です。

この「トライ・アンド・パニッシュ」は、罰がともなう考え方ゆえに、一部からは批判のある方法で、この講師もそれは有効でなく、必要ではないという意見だったと記憶しています。

しかし、この講師が、ワークショップ受講者に対してとった方法が、この「トライ・アンド・パニッシュ」であったことは興味深い。

確かに、「トライ・アンド・パニッシュ」は、教わっている個体に不快で承服しがたい感情を残していて、本来伝えたいと思った内容は、すっ飛んでしまっています。そして、それにより、「トライ・アンド・パニッシュ」の方法が持つ「負の部分」を受き彫りにしています。(まさか、それが目的ではないでしょう・・・ね)

最初から、受講者に、ワークショップの目的と犬にスワレを長時間させる理由を、何度も強調し、納得させておけば、受講者は気分悪くならなかったでしょう。また、もし、それが受講者に伝わっていれば、例え、「トライ・アンド・パニッシュ」でも、受講者はもっと実りある体験ができたかもしれない。

相手の感情をあまり考慮しない、方法論の実践的な展開に、ある種の犬の訓練方法論がかかえる、ある特徴が、また見えたような気がします。    
                     kuro

at 02:16コメント(0)トラックバック(0) 

2004年10月07日

人道的な訓練方法、という言葉を耳にします。

これは、基本的には、operant conditioning という行動学的な考え方を元に、犬に苦痛を与えず、犬の自発性を引き出しながら、楽しくトレーニングする、ということなのでしょう。

ここに、あえて、人道的、という言葉を当てはめたということは、過去において、犬の訓練が人道的でなかったことを証明しています。

実際、私が初めて犬のトレーニングに関わった頃、10年ほど前には、犬の訓練競技会場で、上手にできなかった犬がそのハンドラーに蹴られている光景を目にしたことがありました。人目をはばかることなく、まだ若いハンドラ-が思う存分犬を蹴っていました。

犬が、指示されたことをできなかったからといって、お仕置きとして体罰を加えられている、という事実よりも、それが、堂々と行われていたことに、少なからずショックを受けたことを覚えています。

今では、アジリティの会場で、出走前に「犬に気合いを入れる」といって、犬の首をを持って「シメタ」ハンドラーは、コースオフィシャルから「犬を虐待的に扱った」という理由で退場を命じられたという話を聞きます。

犬に対する考え方、そして、その訓練・トレーニングに対する考え方が、時代とともに変わったということなのでしょう。

今の家庭犬のトレーニングは、特に、ドッグスポーツの分野において、「犬を誉めて、やる気を持たせて、行動を教える」方法をとるという点は、数ある方法論の中でも共通した考え方といえると思います。

しかし、「犬に、してはいけないことを教える」にはどうしたら良いか、という点では、意見が別れているようです。

「してはいけないことを教えるのではなく、好ましい、するべきことを教える」方法をとるか、「積極的にいけないことをいけないと教える」方法をとるか?

私個人としては、経験的には、「してはいけないこと」を教えるのはとても難しく「するべきことを教える」ほうがずっと簡単です。でも、代償行為を教えるだけですましていいものなのか、この疑問は、常につきまといます。

上手にできないことと、やってはいけないことは違うでしょう。また、その行動が、犬やヒトに危険がおよぶことも、また、ドッグスポーツでの失敗とは違う範疇の事柄です。

*アジりティーの出走前に、気が散っている犬を
「シメル」という行為は、どういう意味があるの
 かな、と考えると、たいした意味なく苦痛を与
 えることとして、やっぱり、虐待的行為、と見
 られてしかたのないかも。だって、生きるか死
 ぬかの問題ではあるまいし、他に、犬の気分を
 集中させる方法はいくらでもあるし・・・。


「罰」は、「その直前の行動の頻度を下げる」ことです。犬の「してはいけない行動」の頻度を下げるためにハンドラーが積極的に働きかけ与えることは、「罰」という概念になるでしょう。

犬のなんらかの行動が好ましくなかったといって「蹴る」ことは「罰を与える」ことでしょう。しかし、「罰」は、実際には「蹴る」「殴る」「シメル」という、何やら乱暴な方法以外にも、いろいろあるのです。

ヒトとのコミュニケーションを望んでいる犬を「無視する」というのは、とても大きな「罰」になります。個人的には、おとなの、よく精神的に成熟した犬(ヒトでも同じでしょうか?)以外には、使ってはいけない、厳しい「罰」だと私は思っています。精神的な苦痛は、肉体的な苦痛にまけるとも劣らない、大きな苦痛だと、私は思うのです。

この「罰を与える」という中でも、特に「体罰を与える」、つまり犬に肉体的な苦痛を与えるという方法を、人道的な訓練方法を提唱する人達は嫌っているようです。蹴るということなどは、その一番顕著なことでしょう。

それを、人道的ではない、非人道的であると表現するわけです。

人道的な訓練法を提唱する、ということは、「非人道的な訓練方法の発現頻度を下げたい」という思いを持っているからでしょう。

っで、ここで考えてしまうのです。

「あなたのやっていることは、非人道的だ」といわれて、気分良く「ああ、そうか」と思うヒトは、いったいどのくらいいるのでしょうか?

自らの方法を人道的と表明した瞬間から、それ以外の方法を採用するヒトに、暗に「あなたは非人道的」といっていることにはならないでしょうか?

「非人道的」と呼ばれたら、普通は嫌な気分になるものです。

「罰を与える」方法を非人道的と思うヒトは、その方法を「非人道的」と呼ぶことにより、その方法をとっているヒトに精神的な苦痛という、とても大きな「罰を与えて」いるのではないでしょうか?



at 01:53コメント(0)トラックバック(0)トレーニング 
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