2005年08月

2005年08月05日 18:45

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前回、フリースタイルは「一緒に」作業し、「一緒に」楽しむと書いたのですが、実は、このことが一番重要なことで、考えてみれば、トレーニングは、全て、ここへ行き着くためのものです。

犬のトレーニングは、伝統的と呼ばれる方法、動物行動学に基づいたと唄うもの、他の言い方としては、社会性のある犬に主従関係を教えるという考え方や、異種間の互いの文化の違いの擦り合わせという考え方等、様々な言葉で表現され、実践されています。

犬の行動学を学術的に研究する様になったのは、30年ほど前からだそうです。30年。この数字をどうとるか・・・?私の印象は、「えっ、『たった』30年!」でした。

この犬の行動学研究から、それ以前から盛んに研究されてきたもっと広い範囲での動物行動学的な基本原理を使って、より実践的な犬のトレーニング方法が考えだされ、今、私達は、その恩恵を受けていると、私は思っています。

と、同時に、方法論という意味で、混乱が生じているとも思っています。

フリースタイルのトレーニングで、なにをどう適用するかは、大きな意味を持つ選択です。

例えば、犬が offer する(自分からすすんで提供する)行動をクリッカーでマークし、強化してゆくことにより、犬の動作を固定してゆく方法論は、クリッカートレーニングとしては有効かもしれないのですが、フリースタイルの動作を教えるには、余り向いていない様に思います。

クリッカーは、どうしたらこの犬がこの動作を覚えてくれるかということを、計画的に固定するのに、大変に使いやすい道具です。フリースタイルでも、新しい動きを教える時に、多くの人がクリッカーを使って成果をあげています。

しかし、フリースタイルの演技では、犬にハンドラーのコマンドを、間違えずに、次々と遂行してほしいのであって、犬が offer する行動はむしろ不都合なこともあります。(クリッカーを、この違いを犬に明確にするまでの形で使いこなしている場合は、また、それは、別の話です。)

また、一方、他に方法があるにもかかわらず、基本中の基本の犬からのアテンションを、嫌悪刺激による罰の手法で得ようとするのは、一緒に楽しく作業するためには相応しくない様に思います。

フリースタイルは、犬との生活の一部ではありますが、犬がコマンドをミスしたり、間違ったりしても、それは、社会生活の上で許されないことでも、生死に関わることでもありません。噛んじゃいけないことを教えたり、飛びつかないでお行儀よくすることを教えるのとは、違うのです。

この、社会的存在としての犬のしつけと、フリースタイルの練習の違いを、犬は、きちんと理解できる様になると思うのです。

楽しむことには、真剣にとりくみたい。この、真剣に、というところは必ず培いたい。そして、その出発点は、楽しいところから、つまり、厳しく「いけないっ!」ではなく、ニコニコと「そう、おりこうさんねぇ~っ!」から始めたいです。
                               kuro

2005年08月04日 11:08

何を教えるにしても、教えようとする段階で、犬からハンドラーへのアテンションは不可欠です。ハンドラ-は、自分の重要性、魅力を、まずは様々な犬が好むこと、物を使って、犬に印象づけます。


1・手から、ひとつひとつ食べ物を与える。

食べ物は、動物にとって、生存に関わるものであるため、第一義的に動物の作業意欲を沸き起こさせるものとなります。

犬と向かい合って、ひとつづつ、手から食べ物を与えることは、ハンドラーの存在を、犬にとって、重要且つ魅力的なものとすることができます。特に、食べ物に目の無い犬には、大変に有効に働きますし、この作業は、動作を教える上でも、その動作を強化するご褒美として使うことへの導入となります。


2・犬とおもちゃを媒体として、一緒に遊ぶ。例えば、引っ張りっこ。

フリースタイルは、ハンドラーと犬が「一緒に」作業をする必要があり、しかも、ハンドラーも犬も、どちらも楽しんでいることが重要です。そしてまた、その作業のあいだ、犬もハンドラーも、ともに動いています。

そのためには、私は、デンタルコットンやひも付きボールの様なものを引っ張りっこしたり、ハンドラーと犬が一緒になにかおもちゃをとりにいったりするという様な、共同作業となりうる遊びをすることは、とても良いと思います。

ただし、おもちゃは、常に、ハンドラーから提供され、ハンドラ-の元に返還されるものとして位置付けをしておくことは重要です。犬が、おもちゃをハンドラーに自分から返してくれる様になったら、犬もまた「一緒に」遊ぶことが好きになったということなのだと思います。


3・食べ物を与える時、一緒に遊ぶ時、言葉によってほめることを忘れない。

フリースタイルは、最終的には、ハンドラーの一回のコマンドで、ハンドシグナル等の誘導無しで、犬が次々に動作を遂行してゆくことが必要となります。

そのためにも、犬がハンドラーの言葉に注意を払うようにトレーニングを進めてゆきます。

慣れると、犬は、「良くできました(ご褒美に値する)」「もう一回」「それは違う」「正しい動作をしているけどまだ終わっていないから、そのまま続けて」「それは良くできた、次の動作のコマンドが出る」といった、ハンドラーからの異なる言葉による合図を理解し、次々と作業を続けてゆくことができる様になります。
                             kuro

2005年08月02日 11:39

アメリカ、イギリスをベースにしたフリースタイル関連のメーリングリストはいくつかあります。そのほとんどが、ヤフーグループを利用しているので、私は、登録して、ウェブで読むにしています。

マイケル・ジャクソンについての話題もこのうちのひとつで話題になったことですが、多くのML参加者が複数のMLに参加しているので、話題によっては、あちこちで取り上げられることになります。

アメリカとイギリスは、同じ言語を共有する国なのに、こういった議論の場でも、様々な違いがあって、なかなか興味深い。

ルーティーンの題材として、ストリッパーをモチーフにしたものが、イギリスではいくつか見られました。どれも、アドバンスクラスに属する人達の演技でした。

アメリカのフリースタイラーの中には、こう言ったモチーフを好ましくない、という意見も見られます。セクシュアルな表現は全ていけない、という人も、アメリカにはいます。


そういえば、先日、ロンドンで地下鉄爆破テロがありました。フリースタイルMLでも、もちろん話題となっていました(安否を尋ね、その被害にあった国の人々に対する、同情(文字通り、想いを同じにするという意味)を表す、お見舞いの意味)。

日本のニュース報道等でも取り上げられていましたが、ロンドンの地下鉄は、本当に狭いのです。車輌は蒲鉾型で、190センチ以上ある私の友人は、入り口付近では、まっすぐ立っていられずいつも頭を傾けていました。

これは、ロンドンの地下鉄が、ドラム缶の様な筒を地中に埋めて、繋げて作ってあるからだと聞いたことがあります。繋がった筒の中に線路を作り、そのひとまわり小さな車輌をそこに通してあるのです。筒を繋げたチューブの中を、それと同じ断面を持つ車輌を通したということです。

ですから、地下鉄は、ロンドンではtube チューブ と呼ばれています。結構即物的な、というか、簡単な命名のしかたで、しかも、それが、普通に定着して使われていることが、なんともイギリスらしいということなのでしょうか・・・。


こういった意見の違い、言語の使い方、犬のトレーニングに対する考え方にも、もしかしたら反映されているのかもしれません。(とはいえ、どこが、どう、ということは、よく解らない・・・)
                           kuro

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