2005年12月
2005年12月27日 15:47
前回の記事、観戦マニアで書いた条件は、実際には、いとも簡単にダダが身に付けた事、というわけではありません。
観戦/目で追う、のは、ボーダーコリーにとってはある意味本能的な衝動から来るものなので、そこから引き剥がす(終了)のは、それなりの方法と、時間と熱意(ハンドラーの)が必要になります。
かといって、ダダでは、問題行動と思える事にまで発展してしまうような大きな苦労をする事ではありませんでした。
ダダには、彼女が1才になるまで「フセ」「コイ」「マテ(ステイ)」しか教えませんでした。なかでも「フセ」だけは完璧にしようと思いました。この「フセ」は、「フセ&ステイ」でもあります。
そのかわり、2才になった時でも、ダダは、リードで優雅にお散歩など全くできず、がんがんひきまくり、飼い主の腕の筋肉は疲労で壊れ、関節は炎症を起こし、指は危うく骨折か、という状態でした。
この「フセ、コイ、マテ」は、シープドッグトレーナーのグレン・ジョーンズさんが、その著書 a way of life のなかで、シープドッグとしての練習を始める7~8ヵ月までに犬が知っているべきこと、としてあげている3つのコマンドです。とりあえずそれを私もやっておこう、ということで取り組んだのですが、これが大きな力となりました。
ボーダーコリーと暮す上で、シープドッグとしての彼等の練習や暮らしが参考になるのは、その中から、この犬達の特性やそこから発生する問題を知る事ができ、それに羊飼い達がどのように対処し、どのように生かし、どのように解消していったかが読み取れるからです。
ダダに教えた「フセ」は、一連の作業、たとえば一緒に走る、たとえばおもちゃの引っ張りっこ、例えば投げたボールのレトリーブ、の中に差し挟むかたちでの練習を重要視しました。服従訓練における「フセ」とは、この点が大きく違っています。
私にとって必要だったのは、手許にいる時、脚側にいる時、リードに繋がれている時にダダがきちんと「フセ」ができる事ではなく、私が物理的に彼女をコントロールできない時に、彼女が動かなくなるコマンドを徹底的に覚えてもらう事、だったからです。
さて、この一連の作業中(つまりは共同作業中)の「フセ」を彼女に教えた事は、フリースタイルを楽しむ上だけでなく、観戦マニアとしての最初の段階と、最終的な「観戦は飼い主との共同作業と認識すべし」という部分で、大きなプラス点となりました。
一番難しいのは、「はい、おしまい」で終了させる(/次の作業に行く)、という点です。
ジョーンズさんは、シープドッグトレーニングの解説のターンバックの練習の項で、この方法を書いています。
シープドッグトレーニングには全く詳しくないのですが、このターンバックは、一度集めてきた羊から引き剥がし、新しくアウトランをさせて他の羊を集めに走らせる時に使うコマンド、という事のようです。
集中して目で追ってきた羊から目を離し、しかも、終わるのではなくほかへ走る(ハンドラーのコマンドを聞く)、しかも、お仕事として意欲的に、というのは、やはり、ボーダーコリーには難しい事のようです。
ジョーンズさんは、「物理的に引き剥がす」という表現を使っています。
実は、私も、最初はダダを、物理的に対象物から引き剥がしました。集中してついて廻っていた黒ラブチャンから目を離せず、私の「コイ」のコマンドを聞かなかった時(コマンドが聞こえなくなっていた時)、「コイ」というと同時にダダについていたリードを持って、思いっきり走りました。走り、走り、走り走り、遊び、遊び、そしてまた、黒ラブチャンのところまで走り戻り、そして「フセ」。ダダが4ヵ月の時です。
次は、河原や公園でのサッカーボール。引き寄せられていくダダに「フセ」、そして、私もダダと一緒にサッカーボールに引き寄せられることにしました。ダダのとなりにしゃがみ込んで、彼女の首輪を持ち「フセ、よ、ダ-ちゃん、オリコウさんねぇ、面白いねぇ。」
共同作業という認識を彼女に持ってもらうために、まず、私の存在を、彼女の勝手な作業の中に割り込ませることにしたのです。
そして、「コイ」という言葉と共に走りながら彼女の目をサッカーボールから引き剥がし、そして、もう一度、ボールへと、「一緒に」走ります。これは、彼女がもっと大人になっていて、サッカーボール以外では、「コイ」が聞こえない事が無くなっていた頃です。一緒に作業するという事を、ダダはもう既に理解していたので、彼女は簡単にサッカーボール鑑賞マニアへと変身しました
最後が「アジ観戦」でした。
いずれにしろ、一緒にやる事は一緒にやめられます。コマンドでやる事は、コマンドでやめられます。共同作業に位置付ければ、やめる事は、いやじゃないのです。そして、最初の練習段階で、やめた後も楽しい共同作業が続く、というかたちで覚えてもらう事が重要でしょう。
物理的、強制的にこちらを向かせる事の是非は、命に関わるかもしれないボーダーコリーの本能的な行動の制御という点では、私は「是」と思います。そこには、フリースタイルでスピンをするかどうかという事と違い、犬の選択の余地はないのです。
強制的にこちらを向かせる是非などよりも、そこに「共同作業性」があるかどうかのほうが、ボーダーコリーのこの本能に根ざした行動を制御する上では、ずっと重要な事のように私は思うのです。
kuro
観戦/目で追う、のは、ボーダーコリーにとってはある意味本能的な衝動から来るものなので、そこから引き剥がす(終了)のは、それなりの方法と、時間と熱意(ハンドラーの)が必要になります。
かといって、ダダでは、問題行動と思える事にまで発展してしまうような大きな苦労をする事ではありませんでした。
ダダには、彼女が1才になるまで「フセ」「コイ」「マテ(ステイ)」しか教えませんでした。なかでも「フセ」だけは完璧にしようと思いました。この「フセ」は、「フセ&ステイ」でもあります。
そのかわり、2才になった時でも、ダダは、リードで優雅にお散歩など全くできず、がんがんひきまくり、飼い主の腕の筋肉は疲労で壊れ、関節は炎症を起こし、指は危うく骨折か、という状態でした。
この「フセ、コイ、マテ」は、シープドッグトレーナーのグレン・ジョーンズさんが、その著書 a way of life のなかで、シープドッグとしての練習を始める7~8ヵ月までに犬が知っているべきこと、としてあげている3つのコマンドです。とりあえずそれを私もやっておこう、ということで取り組んだのですが、これが大きな力となりました。
ボーダーコリーと暮す上で、シープドッグとしての彼等の練習や暮らしが参考になるのは、その中から、この犬達の特性やそこから発生する問題を知る事ができ、それに羊飼い達がどのように対処し、どのように生かし、どのように解消していったかが読み取れるからです。
ダダに教えた「フセ」は、一連の作業、たとえば一緒に走る、たとえばおもちゃの引っ張りっこ、例えば投げたボールのレトリーブ、の中に差し挟むかたちでの練習を重要視しました。服従訓練における「フセ」とは、この点が大きく違っています。
私にとって必要だったのは、手許にいる時、脚側にいる時、リードに繋がれている時にダダがきちんと「フセ」ができる事ではなく、私が物理的に彼女をコントロールできない時に、彼女が動かなくなるコマンドを徹底的に覚えてもらう事、だったからです。
さて、この一連の作業中(つまりは共同作業中)の「フセ」を彼女に教えた事は、フリースタイルを楽しむ上だけでなく、観戦マニアとしての最初の段階と、最終的な「観戦は飼い主との共同作業と認識すべし」という部分で、大きなプラス点となりました。
一番難しいのは、「はい、おしまい」で終了させる(/次の作業に行く)、という点です。
ジョーンズさんは、シープドッグトレーニングの解説のターンバックの練習の項で、この方法を書いています。
シープドッグトレーニングには全く詳しくないのですが、このターンバックは、一度集めてきた羊から引き剥がし、新しくアウトランをさせて他の羊を集めに走らせる時に使うコマンド、という事のようです。
集中して目で追ってきた羊から目を離し、しかも、終わるのではなくほかへ走る(ハンドラーのコマンドを聞く)、しかも、お仕事として意欲的に、というのは、やはり、ボーダーコリーには難しい事のようです。
ジョーンズさんは、「物理的に引き剥がす」という表現を使っています。
実は、私も、最初はダダを、物理的に対象物から引き剥がしました。集中してついて廻っていた黒ラブチャンから目を離せず、私の「コイ」のコマンドを聞かなかった時(コマンドが聞こえなくなっていた時)、「コイ」というと同時にダダについていたリードを持って、思いっきり走りました。走り、走り、走り走り、遊び、遊び、そしてまた、黒ラブチャンのところまで走り戻り、そして「フセ」。ダダが4ヵ月の時です。
次は、河原や公園でのサッカーボール。引き寄せられていくダダに「フセ」、そして、私もダダと一緒にサッカーボールに引き寄せられることにしました。ダダのとなりにしゃがみ込んで、彼女の首輪を持ち「フセ、よ、ダ-ちゃん、オリコウさんねぇ、面白いねぇ。」
共同作業という認識を彼女に持ってもらうために、まず、私の存在を、彼女の勝手な作業の中に割り込ませることにしたのです。
そして、「コイ」という言葉と共に走りながら彼女の目をサッカーボールから引き剥がし、そして、もう一度、ボールへと、「一緒に」走ります。これは、彼女がもっと大人になっていて、サッカーボール以外では、「コイ」が聞こえない事が無くなっていた頃です。一緒に作業するという事を、ダダはもう既に理解していたので、彼女は簡単にサッカーボール鑑賞マニアへと変身しました
最後が「アジ観戦」でした。
いずれにしろ、一緒にやる事は一緒にやめられます。コマンドでやる事は、コマンドでやめられます。共同作業に位置付ければ、やめる事は、いやじゃないのです。そして、最初の練習段階で、やめた後も楽しい共同作業が続く、というかたちで覚えてもらう事が重要でしょう。
物理的、強制的にこちらを向かせる事の是非は、命に関わるかもしれないボーダーコリーの本能的な行動の制御という点では、私は「是」と思います。そこには、フリースタイルでスピンをするかどうかという事と違い、犬の選択の余地はないのです。
強制的にこちらを向かせる是非などよりも、そこに「共同作業性」があるかどうかのほうが、ボーダーコリーのこの本能に根ざした行動を制御する上では、ずっと重要な事のように私は思うのです。
kuro
ダダは小さい頃から、ほとんどアジリティをさせなかったので、アジリングへ自分が入っても、7才にして、まだ、アジリティがどんなものかを「きちん」と把握していません。
とはいえ、小さい頃からディヴォのお勉強を見ながら、見よう見まねで育っているので、何しろ、犬とハンドラ-が何かをやっているのを見るのはお得意です。それで、フリースタイルの練習をさせていただいているフィールドで、アジリティの練習が始まると、ダダは、真剣に見学をし始めます。
見学の姿勢は、「フセ」。そして守るべきコマンドは「ステイ」です。なのに、あまりにも面白く、ついつい、自覚のないままに伏せたまま前進するので、「ステイ」をかけるのはやめました。だって、「ステイ」は、ステイでしょう。ステイなのに動く事が3回続けば、ステイは動く事になっちゃいますものね。
そのかわり、時々、「ダ-ちゃん、前に出過ぎよ」というと、いそいそと、もともとの位置まで戻ってきます。時々声をかける事により、今では、耳は常に後ろにいる私の声を探そうと動いています。
先日、ダダを連れてアジリティ大会の見学に行きました。これ、実に、ダダにとっては7年ぶりのアジリティ大会。前回は、記念すべき草アジ第1回。しかも、あの草アジは、ダダにとっては、初めての犬イベント参加でした。
いろいろな方にベイビーダダお披露目をかねていて、しかも、飼い主は、なんと、駐車場の整理だの、ジャッジだの、MCだのと走り回っていて、宇奈根のフィールドで、トイレができず、苦労したっけ・・・。
今回、ダダは、大会のリングの外、正しくフセの姿勢で観戦を始めました。知り合いの出番になると、ダダの左右前後に、人々が立ち応援を始めました。ただ立っているだけならいいのですが、競技者の動きと共に、応援団も動きます。そうすると、ダダの視野を遮って、犬の動きがダダに見えなくなるようです。
ダダは、フセの姿勢を保ちながら(偉いねぇ)首を右左へ動かし、競技を見落とさないように必死。
りっぱな観戦マニアです。
我が家のボーダーコリー観戦マニアの条件
1・姿勢は伏せ/じっとしている(つもり、つもりの場合、その意志を確認できる)
2・黙って見る(ときどきの奇声は、まあ、許そう)
3・耳はハンドラ-(飼い主)の声を探す
4・「はい、おしまい」の声で、観戦中止/終了
5・観戦終了時には、ハンドラ-(飼い主)から、楽しかったねぇ~と声がかかる
6・観戦は、飼い主との共同作業と認識すべし
kuro
とはいえ、小さい頃からディヴォのお勉強を見ながら、見よう見まねで育っているので、何しろ、犬とハンドラ-が何かをやっているのを見るのはお得意です。それで、フリースタイルの練習をさせていただいているフィールドで、アジリティの練習が始まると、ダダは、真剣に見学をし始めます。
見学の姿勢は、「フセ」。そして守るべきコマンドは「ステイ」です。なのに、あまりにも面白く、ついつい、自覚のないままに伏せたまま前進するので、「ステイ」をかけるのはやめました。だって、「ステイ」は、ステイでしょう。ステイなのに動く事が3回続けば、ステイは動く事になっちゃいますものね。
そのかわり、時々、「ダ-ちゃん、前に出過ぎよ」というと、いそいそと、もともとの位置まで戻ってきます。時々声をかける事により、今では、耳は常に後ろにいる私の声を探そうと動いています。
先日、ダダを連れてアジリティ大会の見学に行きました。これ、実に、ダダにとっては7年ぶりのアジリティ大会。前回は、記念すべき草アジ第1回。しかも、あの草アジは、ダダにとっては、初めての犬イベント参加でした。
いろいろな方にベイビーダダお披露目をかねていて、しかも、飼い主は、なんと、駐車場の整理だの、ジャッジだの、MCだのと走り回っていて、宇奈根のフィールドで、トイレができず、苦労したっけ・・・。
今回、ダダは、大会のリングの外、正しくフセの姿勢で観戦を始めました。知り合いの出番になると、ダダの左右前後に、人々が立ち応援を始めました。ただ立っているだけならいいのですが、競技者の動きと共に、応援団も動きます。そうすると、ダダの視野を遮って、犬の動きがダダに見えなくなるようです。
ダダは、フセの姿勢を保ちながら(偉いねぇ)首を右左へ動かし、競技を見落とさないように必死。
りっぱな観戦マニアです。
我が家のボーダーコリー観戦マニアの条件
1・姿勢は伏せ/じっとしている(つもり、つもりの場合、その意志を確認できる)
2・黙って見る(ときどきの奇声は、まあ、許そう)
3・耳はハンドラ-(飼い主)の声を探す
4・「はい、おしまい」の声で、観戦中止/終了
5・観戦終了時には、ハンドラ-(飼い主)から、楽しかったねぇ~と声がかかる
6・観戦は、飼い主との共同作業と認識すべし
kuro
2005年12月22日 19:16
12月18日、国営昭和記念公園で、久しぶりに、フリースタイルのデモをしました。神戸のフリースタイルのお仲間が誘ってくれたのです。今年、初めて、人前で演技をしました。
お知り合いのブティックから仕入れたちょっと派手なベスト、20年以上前に買ったニッカーボッカー風のパンツ、雨の日用に使っているゴム底/5センチゴムヒールのショートブーツ、そして、ブティックのオーナー(生地のデザイナーです)からダダの首輪用にいただいたベストの共布で、ダダのリボンを作りました。
衣装は整い、今年新しく取り入れたダダの動きは、もうずいぶん確実になっていたのですが、問題は、ダダのお喋り。
練習ではかなり静かにできるようになっていたのですが、さて、人前ではどうでしょう?かなり長い間、人前で演技をしていないので、きっと、また、吠えるのでは・・・・?
不安を抱えてリングに入り、音楽がなりはじめ、動き出すと、やはり声が出始めました。動き出して、初めてヒールポジションにきた時、彼女は、私の顔を見ながら、口を尖らせてかん高く「ウォンウォン」と言い出し、そして、バックしはじめました。
このヒールポジションにきた瞬間に自分ひとりでバックし始めると、彼女はそこから自分の声の世界に入ってしまい、勝手に踊り始めます。
音楽を止めてもらい、申し訳ありませんが、といって皆様に御説明し、やり直しをさせていただきました。説明を聞いていた、一番前に陣取っていたお知り合いが、「何回でもやり直して良いよ」といってくれ、私もちょっとにっこり、緊張がほぐれました。
やり直して、やはりダダは吠えました。が、彼女は、自分の世界に入っていかず、私のコマンドを聞いていました。先走ってしまった動作の後に「マテ」というと、ちゃんと待って、私のリズムにあわせていました。
遠くに離れての演技の部分では、音楽の音と風の音で私のコマンドが聞こえず、ダダは迷っていました。これは、私が、時々、シークエンスを変更して練習するからです。コマンドが聞こえないので、彼女は、どのバージョンをやったら良いのか迷ったのです。
サンドラ・デービスさんは、シークエンスを変更するのは良くないといいます。確かに。でも、ダダは吠え出すと、予測/先走りがよけいにひどくなるので、私は、ダダには、時々、シークエンスを変更して、予測に頼り切った動きを無くす練習しているのです。私のコマンドを理解しようとしてもらうために。
ダダは迷いながら、私を見て、コマンドを求めていました。あの口を尖らせた表情ではなく、明らかに、私のコマンドを探していました。共同作業をしようとしていました。
ダーちゃん、オリコウさんになってくれたのねぇ。
今回、こんなに吠えたので、また、お喋りを止めるための練習を、初歩からやり直す必要があるのですが、でも、なんとなく嬉しくなりました。
今回、懐かしい人達にあいました。ディヴォとフリスビーやアジリティを始めた11年程前、ドッグスポーツの始まりの頃、あちこちであった人達でした。でも、あの頃のイヌ達は、もういませんでした。 kuro
お知り合いのブティックから仕入れたちょっと派手なベスト、20年以上前に買ったニッカーボッカー風のパンツ、雨の日用に使っているゴム底/5センチゴムヒールのショートブーツ、そして、ブティックのオーナー(生地のデザイナーです)からダダの首輪用にいただいたベストの共布で、ダダのリボンを作りました。
衣装は整い、今年新しく取り入れたダダの動きは、もうずいぶん確実になっていたのですが、問題は、ダダのお喋り。
練習ではかなり静かにできるようになっていたのですが、さて、人前ではどうでしょう?かなり長い間、人前で演技をしていないので、きっと、また、吠えるのでは・・・・?
不安を抱えてリングに入り、音楽がなりはじめ、動き出すと、やはり声が出始めました。動き出して、初めてヒールポジションにきた時、彼女は、私の顔を見ながら、口を尖らせてかん高く「ウォンウォン」と言い出し、そして、バックしはじめました。
このヒールポジションにきた瞬間に自分ひとりでバックし始めると、彼女はそこから自分の声の世界に入ってしまい、勝手に踊り始めます。
音楽を止めてもらい、申し訳ありませんが、といって皆様に御説明し、やり直しをさせていただきました。説明を聞いていた、一番前に陣取っていたお知り合いが、「何回でもやり直して良いよ」といってくれ、私もちょっとにっこり、緊張がほぐれました。
やり直して、やはりダダは吠えました。が、彼女は、自分の世界に入っていかず、私のコマンドを聞いていました。先走ってしまった動作の後に「マテ」というと、ちゃんと待って、私のリズムにあわせていました。
遠くに離れての演技の部分では、音楽の音と風の音で私のコマンドが聞こえず、ダダは迷っていました。これは、私が、時々、シークエンスを変更して練習するからです。コマンドが聞こえないので、彼女は、どのバージョンをやったら良いのか迷ったのです。
サンドラ・デービスさんは、シークエンスを変更するのは良くないといいます。確かに。でも、ダダは吠え出すと、予測/先走りがよけいにひどくなるので、私は、ダダには、時々、シークエンスを変更して、予測に頼り切った動きを無くす練習しているのです。私のコマンドを理解しようとしてもらうために。
ダダは迷いながら、私を見て、コマンドを求めていました。あの口を尖らせた表情ではなく、明らかに、私のコマンドを探していました。共同作業をしようとしていました。
ダーちゃん、オリコウさんになってくれたのねぇ。
今回、こんなに吠えたので、また、お喋りを止めるための練習を、初歩からやり直す必要があるのですが、でも、なんとなく嬉しくなりました。
今回、懐かしい人達にあいました。ディヴォとフリスビーやアジリティを始めた11年程前、ドッグスポーツの始まりの頃、あちこちであった人達でした。でも、あの頃のイヌ達は、もういませんでした。 kuro
2005年12月07日 18:25
2005年4月に悪性リンパ腫と診断されて、抗癌剤の治療をしながら、
私は、ディヴォに、ほとんど普通の生活をさせました。
獣医さんには、彼が苦しまない事、
そして、彼が彼らしく生きられる事をお願いしました。
彼は、亡くなる2週間前まで、全速力でボールを追い掛け、
1週間前には、自力で歩かせたくないくらいに弱っていながら、
キラキラと輝く眸で、フリースタイルの練習を「やりたい」といい、
じっと引き下がっている事に納得しませんでした。
食事も排泄も、亡くなる前日まで、全て自力でこなしました。
亡くなる2週間前と1週間前、そして前日と、
3晩程、苦しかった時がありました。
でも、そのうち2回は、とても強い生きる意志を示し、
彼は回復してくれました。
3回目は、熱がさがると、食事もとってくれて、穏やかに眠り、
私を信頼しているといってくれ、
又、元気を取り戻すかなと思ってしまう程でした。
夜中に、彼の前足に手を添えてうとうととしていた私を彼は起こしてくれて、
私の腕の中で息を引き取りました。
ありがとう。ありがとうね、ありがとうね、ディちゃん。
今思うと、何から何まで、彼は自分の命を、真剣に生き抜き、
そして、走り抜けていってしまいました。
私にできる事といえば、
ほんのちょっと手を差し伸べ、
ほんのちょっと手を添える事だけだったなぁ、と思います。
彼に出会えて、私は本当に幸せでした。夢のような、幸せな12年間でした。
ダダは、ディヴォが亡くなる前24時間、ずっとディヴォのそばを離れませんでした。
亡くなって、荼毘にふした後、彼女は、お骨のそばで眠る事を選びました。
こんなに仲の良い犬達に恵まれた事を、感謝しています。
今、ディヴォは、
子犬の頃、飛びついては穴を開けたお父さんのお気に入りのセーターに包まれ、
私の指輪と一緒に、
彼が愛した信州の山奥の山桜の根元で、
お兄ちゃん犬ダッシュと共に眠っています。
2月以上過ぎた今でも、朝、時々、ラジオ体操のヒトや、
ジョギングのヒトや、
公園脇の道路で時間調整している仕事前のヒトや、
そんな方々に、
「もう一頭は・・・?」と尋ねられます。
彼を覚えていてくれる方達の優しいお気持ちに、感謝しています。
kuro
私は、ディヴォに、ほとんど普通の生活をさせました。
獣医さんには、彼が苦しまない事、
そして、彼が彼らしく生きられる事をお願いしました。
彼は、亡くなる2週間前まで、全速力でボールを追い掛け、
1週間前には、自力で歩かせたくないくらいに弱っていながら、
キラキラと輝く眸で、フリースタイルの練習を「やりたい」といい、
じっと引き下がっている事に納得しませんでした。
食事も排泄も、亡くなる前日まで、全て自力でこなしました。
亡くなる2週間前と1週間前、そして前日と、
3晩程、苦しかった時がありました。
でも、そのうち2回は、とても強い生きる意志を示し、
彼は回復してくれました。
3回目は、熱がさがると、食事もとってくれて、穏やかに眠り、
私を信頼しているといってくれ、
又、元気を取り戻すかなと思ってしまう程でした。
夜中に、彼の前足に手を添えてうとうととしていた私を彼は起こしてくれて、
私の腕の中で息を引き取りました。
ありがとう。ありがとうね、ありがとうね、ディちゃん。
今思うと、何から何まで、彼は自分の命を、真剣に生き抜き、
そして、走り抜けていってしまいました。
私にできる事といえば、
ほんのちょっと手を差し伸べ、
ほんのちょっと手を添える事だけだったなぁ、と思います。
彼に出会えて、私は本当に幸せでした。夢のような、幸せな12年間でした。
ダダは、ディヴォが亡くなる前24時間、ずっとディヴォのそばを離れませんでした。
亡くなって、荼毘にふした後、彼女は、お骨のそばで眠る事を選びました。
こんなに仲の良い犬達に恵まれた事を、感謝しています。
今、ディヴォは、
子犬の頃、飛びついては穴を開けたお父さんのお気に入りのセーターに包まれ、
私の指輪と一緒に、
彼が愛した信州の山奥の山桜の根元で、
お兄ちゃん犬ダッシュと共に眠っています。
2月以上過ぎた今でも、朝、時々、ラジオ体操のヒトや、
ジョギングのヒトや、
公園脇の道路で時間調整している仕事前のヒトや、
そんな方々に、
「もう一頭は・・・?」と尋ねられます。
彼を覚えていてくれる方達の優しいお気持ちに、感謝しています。
kuro