2022年12月06日 16:29

雑感

雑感、としか言いようがないのですが、

先日、新国立劇場バレエ団の「春の祭典」を見て来ました。自分でチケットを取ったわけではなかったので、何も事前の知識のないままの鑑賞でした。また、バレエについても音楽についても、詳しくありません。なので、ストラビンスキーの音楽がどのようなものか、またそのバレエがどのようなものかも、全く無知のまま劇場に出向きました。

劇場は、普段このバレエ団の演目が行われる会場ではなく、入口を入って、そのまま真っ直ぐ進んだ中劇場でした。チケットは前から2列目、中央からやや左に寄った席。この舞台は、観客席と同じレベルのまさに目の前のステージでした。

ダンサーの踊りは、手を伸ばせば触れるほどに近い。


中学生の頃、学校のダンス部に所属していて、そこは創作ダンスの世界でした。ほとんど裸足で踊るような世界。音楽に合わせて作り出すのは、具象よりも抽象に近い世界だったと思います。


バレエを鑑賞するようになって、最初はかなり戸惑いました。一つの踊りがひと段落するたびに沸き起こる拍手に戸惑ったのです(不思議の国のアリスの第一幕は、途切れることなく進み、まるでミュージカルのようでしたが・・・)。

そうか、これは、様式として確立された踊りをいかに遂行するか、そこでいかに表現するかが求められ、話の展開や、全体を貫くテーマを全体として表現するものではないのだ、、、っと、今では勝手に理解納得して、その形で楽しんでいます。

しかし、春の祭典は、男女二人のダンサーによる約40分間に及ぶ踊りで、どちらかと言うと、創作ダンス、それもとても抽象的な踊りでした。


約40分間の二人の踊りが終わり、スタンディングオーベイションのカーテンコール。

踊り終わって、最初に舞台へ再登場したプリマドンナの表情に、私は驚いたのです。

彼女は、ここにいませんでした。不思議なものを見るかのように観客席を見る彼女。その瞳は、観客を見ながら、観客が誰なのか、自分はここで何をしているのか、困惑しているように見えました。

2度3度と舞台裏へ戻り、再登場するたびに、彼女の表情は、徐々にこちらの世界に戻ってきました。自分が劇場で踊り、終わり、今カーテンコールだということを、だんだんと理解し始めていたように見えました。にこやかな笑顔が見られるようになりました。パフォーマンスを共有したピアニストたちに気持ちを配ることができるようになっていきました。

40分間、作品の中に入り込んで踊りきった、その次の瞬間、にこやかに観客に微笑むなんてきっと無理なんだろうなぁ。


先日、私は約10分程度のオビディエンス競技で、最後の科目を残し集中力が解けてしまいました。一緒に作業していた犬は、きっちりとその私の気持ちを捕まえて、適度な緊張から解放されてしまいました。
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(ST連合/富士川緑地公園photo by Jun Chris Mitsui)
この春の祭典のプリマドンナの表情を見て、自分の落ち度をより強く感じた、そんなバレエ鑑賞でした。




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